広島軍用水道と鯉の噴水

 広島市の水道誕生には陸軍が大きく関わっていた。

 1894年(明治27)日清戦争が勃発。戦地に近い陸海交通の要地であり、前線基地となった広島には全国の部隊が集結し、大本営が置かれた。しかし、当地の飲料水は衛生状態が悪く、赤痢コレラといった水系伝染病の流行が避けられなかった。これではとても兵営や艦船への満足な給水は望めない。水道の整備を陸軍が主導した所以である。

 1895年(明治28)秋以降、勅令に基づく臨時広島軍用水道布設部が置かれた。日清戦争はすでに終結していたが、巨額の水道布設費用を日清戦争の戦費から支出するという異例の展開をたどった(『広島市水道百年史』によれば、水道布設と直接は結びつかない戦費から支出する是非を巡って帝国議会は紛糾したという)。

 軍用水道は完成後、布設部から第五師団監督部へ所管が移り、第五師団監督部が広島市へ無償で貸し下げた。市は陸軍から借用する軍用水道に市設の水道を接続、事実上一体の水道として運用し、市民一般への給水を開始した。

 水源地で通水式が行われたのは1898年(明治31年)8月25日である。

 「通水式場は既記の如く牛田村水源地内と定られ式場に至る堤防には其両側に縄を張りて数百の紅燈を吊し水源地入口の門には大緑門を造りて大国旗を交叉し門内左側には大噴水池を設け其中央に据へられたる銅製□鯉は口より水を噴くこと数十間水沫四方に飛散して時ならぬ細霧人を湿し涼気云ふべからず」(8月26日付、中国)

 街頭装飾・会場装飾に「数百の紅燈」「大緑門」「大国旗」などが用いられたほか、常設となる鯉の噴水が設けられた

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 ところでこの年のはじめ、東京朝日新聞が気になる話を報じていた。

 「広島軍用水道布設部にてハ旧大本営跡へ噴水を設くるに付其構造を鯉の形にとり其口より噴水せしめんとの議ありしところ曩に軍用水道部長児玉源太郎氏の同地に赴むきし折しも軍用上の工事として然る贅沢なる仕懸をなさんハ面白からずと云ひしため之を見合すこととなりしが其後更に宮内省に謀りしに同省の費用にて之を設けらるヽこととなりたり本来広島城ハ地形鯉に似たりとて鯉城と称へられ…こひといふこと或ひハ己斐の地名より来れりとの説もありて目出度き事になぞらへ且つ水に縁あれバ意匠頗る妙なるべしとなり」(1月30日付)

 軍用水道布設部では広島城内の旧大本営跡へ噴水を作る計画を持っていた。その噴水口を鯉の形にしようと考えていたところ、部長である児玉源太郎の反対で見合わせることになった。しかしその後、宮内省の費用でこれを作ることになったという記事である。後段の宮内省の費用で云々というくだりは、同省調査課から事実無根だと照会があったとして2月2日付の紙面で取り消されている。

 旧大本営跡の噴水はその後どうなったのか。陸軍省が作成した工事報告書、『臨時廣島軍用水道布設部報告摘要』を読んでみると意外な事実がわかってきた。

 まず、旧大本営跡へ噴水を作る計画自体は立ち消えたわけではなかった。軍が施工した施設の一つとして「旧大本営噴水池」が挙がっており、建造の経緯が詳しく記されている。「旧大本営ノ建物ニ対シ防火栓ヲ設置スルハ勿論一ノ噴水池ヲ開鑿スル設計」とあり、池には非常時の防火用水という実用的な意味合いがあったと推測される。池中には近郊の河岸から運ばせた大小の百個余の天然石を積み上げて島を作り、その中心に鉄管を通して水を噴かせた。

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 面白いことにこの噴水の築造費は宮内省から出ていた。「経費ハ宮内省ヨリ寄贈ノ金額ヲ以テ支弁スルモノトス」と明確に書いてある。東京朝日の記事は全くの誤報というわけでもなかったらしい。鯉の噴水ではないが、宮内省の経費で噴水を作っていた。では、記事を訂正させた裏にはどのような思惑が働いたのだろう。「贅沢なる仕懸をなさんハ面白からず」という児玉の(ものとされる)発言が一つの鍵となる。

 ここからは憶測である。

 水道の建設費を戦費から支出することにさえ反発は強かった。華美な噴水の築造費用まで戦費から支出したとなると、論議を蒸し返しかねない。さりとて、皇室ゆかりの旧大本営の風致をおざなりにもできない。ただ池を掘って水を引いて噴き出させただけというわけにもいかない。池の体裁を整えるのに宮内省が支出したという形なら納まりはよい。
 一方の宮内省宮内省とて、費用を支出するのはやぶさかではないが、あたかも宮内省が贅沢な設備を求めたように解されては具合が悪い。東京朝日の記事に対しては火消しに動かざるを得なかった。
 噴水は華美な意匠を避け、旧大本営と最も関係の深い「同省ニ設置ノ噴水装置ニ準」じた「質素ニシテ堅固安全ナルモノ」とすることで落ち着かせ、鯉の採用は見送る。しかし、「広島と鯉」という取り合わせの妙は捨てがたい。それでは水源地の噴水として復活採用してみてはどうか。

 想像に想像を重ねた筋書きであるが、実際はどうだったのだろう。