2010-01-01から1年間の記事一覧

つちやたびの噴水広告(後編) ・補

つちやたび水晶塔のイルミネーション夜景絵葉書。

凱旋紀念博覧会の噴水(その五・その後)

「博物館々内光景」絵葉書(記念スタンプは「内国商工品共進会」) 「博物館々内光景」絵葉書(拡大) 常滑市営火葬場の伎藝天女(名古屋に運ばれたものとおそらく同型) 絵葉書の撮影年代特定は難しいが、記念スタンプに従えば、明治40年(1907)、4…

カテイ石鹸大噴水塔と泰西名画

「カテイ石鹸大噴水塔」絵葉書 須賀健吉編『平和記念東京博覧会案内』より。 「不忍池の真中に屹然として立つた噴水塔がある、その噴水の奔騰高さは百五十尺、夜となれば電気応用の大仕掛けに只見る満天の飛沫、五彩の光龍、爛として虹と流れ、燦として火花…

つちやたびの噴水広告(後編)

つちやたびは九州一円、中国、四国、関西と販路を拡大していく過程で、人目を引く目新しい宣伝広告を積極的に取り入れた。九州で初めて自動車を購入し宣伝カーとして走らせたという二代目倉田雲平(初代倉田雲平の長男金蔵)の夫人は「主人はかねがねつちや…

つちやたびの噴水広告(前編)

明治時代後半から大正時代にかけて日本の足元を揺るがす大戦争が起こった。この戦争の年代記を紐解くと、大正4年(1915)頃の戦況を振り返り、このように記している。 「この時代に於て特記しなければならないことは、九州、中国、四国方面に於ける有名…

東京大学噴水物語(十・補遺)

銅像には人を冷静ではいられなくする何かがあるらしい。銅像に涙し、激高し、かつぎ出し、戦場へ送り、紙玉をぶつけ、縄を掛けてひきずりまわす。銅像に振り回される人/銅像を振り回す人という連想で、東大五月祭と絡めて話を一つ。題して「忠犬ハチ公・イ…

東京大学噴水物語(九・完)

「年に二三度の他は可能性をひそめて黙す『九輪』」(『東京大学学生新聞』昭和29年5月21日付)とは物は言いよう。昭和26年(1951)に復活を果たした噴水塔であったが、水を噴き上げるのはもっぱら学園祭など特別な時ばかりだった。美化せずに語…

東京大学噴水物語(八・続)

昭和26年(1951)10月4日付の『東京大学学生新聞』は「無視」という意味深なタイトルの記事で次のようなニュースを伝えた。 「アカデミズムの本舗・東京帝国(?)大学の、これ又中心にそそり立つロツクフエラー図書館の玄関前にささやかな噴水がで…

東京大学噴水物語(七・続)

西郷さんの大脱線から急いで本線へ戻る。 大学側の《わだつみ像》受入拒否に対し、像の寄贈・設置を企画した「わだつみ会」を中心に各界からすぐさま激しい非難の声が上がった。しかし、大学側を動かすには至らず、運動は自然と下火になり、第2ラウンドは翌…

東京大学噴水物語(六・続)

政治的な銅像という連想から、大きく脱線して「汚れた英雄」という話をはさみたい。噴水とは全く関係ない。 1980年代後半の東欧革命やソ連崩壊、近年ではイラク戦争で、一国の「英雄」の威信が一夜にして地に堕ち、銅像が引き倒されるという光景がたびた…

東京大学噴水物語(五・続)

3年ぶりの物語再開につき、時系列を振り返りつつ。 昭和3年(1928)現在の総合図書館前に登場した噴水塔は、昭和18年(1943)、戦時下の金属回収の動きに合わせて解体、図書館前から姿を消した。 時は流れて終戦後の昭和25年(1950)。前…

夏目漱石の墓と噴水(後編その5・完)

「裏手の池ハ水涸の儘なりし處今回水道部へ交渉の上噴水せしむる事となれり」(『都新聞』11月3日付)。靖國神社からは「至急」として明治36年10月19日付で、靖國神社宮司・賀茂水穂から東京市水道部長・田川大吉郎へ宛てて無料給水を求めた文書(…

夏目漱石の墓と噴水(後編その4)

手がかりは明治36年(1903)の新聞記事にあった。11月6日付『東京朝日新聞』の「靖國神社秋季大祭初日の景況」という記事だ。 防衛省防衛研究所図書館に残る陸軍省関連の公文書と重ねあわせると(国立公文書館アジア歴史資料センターのウェブサイト…

夏目漱石の墓と噴水(後編その3)

明治28年から38年の間、いつ金太郎噴水を本殿裏の池へ移設したか探る前に、この池には以前から噴水の設備があったことにも触れておきたい。 手元にある『九段坂靖國神社境内一覧』という三枚揃の錦絵では、右の一枚に滝と共に池中の岩場から噴き上がる噴…

夏目漱石の墓と噴水(後編その2)

明治28年12月、金太郎噴水のお披露目はこの池で行われた。 「靖國神社内濆水 鯉濆水ハ銅製 前田侯ノ寄奉」とある 名刺サイズの小さな古写真に写った金太郎横の立札。米粒ほどの立札に書かれたゴマ粒ほどの文字をパソコンで拡大し、眉間に力を入れ薄目で…

夏目漱石の墓と噴水(後編その1)

明治45年の岡山まで流れた筆を靖國神社の金太郎噴水へ戻そう。 金太郎噴水お披露目の明治28年へ戻る前にまずは明治38年の靖國神社へ。日露戦争只中の五月、靖國神社の臨時大祭で合祀者の遺族に贈られた「別格官幣靖國神社全圖」を片手に境内を散策する…

夏目漱石の墓と噴水(中編)

「九段、靖国神社境内にある鯉の噴水は、割合にも高い方で、あれは確か納富介次郎氏の図案で、石川県で作つたとおもふ、何でも前田侯から、寄進されたものと覚へておる。」(島田佳矣「噴水の少い都市」『現代之図案工芸』8巻7号、大正11年)。 靖国神社…

夏目漱石の墓と噴水(前編)

大正五年十二月九日歿 俗名夏目金之助。 雑司が谷霊園の一角にある、文豪・夏目漱石の墓である。漱石の一周忌に際し墓所を移して新たな墓を建てることになり、「何でも西洋の墓でもなし日本の墓でもない、譬へば安楽椅子にでもかけたといつた形の墓をこさへ…

三の丸尚蔵館「皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品」展

9月18日(金)から皇居の三の丸尚蔵館にて「皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品」展が始まります。宮内庁書陵部といえば、皇室伝来の貴重な図書や文書を扱う組織。華やかな美術品・工芸品とは違い、展示内容はかなり渋い。実に渋いそのような展覧会をなぜ…

花月園の噴水(情報大募集!)

11日の講演会で紹介させて頂いた「鶴見花月園」の噴水はこちら。会場には、往時の鶴見花月園で遊んだことがあるという地元の方々がたくさんいらっしゃった。さっそくメールを下さった方もおられ、まさに百聞は一見にしかず。うれしいかぎりです。地元でこ…

番外編・「五大路子さん特別講演会」でちょっぴり喋ります

『鶴見花月園秘話/東洋一の遊園地を創った平岡廣高』の著者、齋藤美枝さんのお誘いで、ひょんなことから、9月11日(土)、こちらのイベントで15分ほど噴水の話をさせていただくことになりました。なにぶんそんな経験は初めてのもので、資料をどうしょ…

小石川植物園の噴水(補遺)

大正9年(1920)の帝国美術院第二回美術展覧会に出品された、深海雄二郎の『休める噴水』。

小石川植物園の噴水とショクダイオオコンニャク

7月24日、ショクダイオオコンニャクの開花に沸く小石川植物園へ。ショクダイオオコンニャクは別名のとおりスマトラ産の巨大コンニャクで、漢字で書けば「燭台大蒟蒻」。中心にそそり立つ太い軸と、軸を取り囲む「仏炎苞」(葉が変形したもの)が満開にな…

凱旋紀念博覧会の噴水(その四)

まず訪れたのは名古屋の覚王山日泰寺。タイから仏舎利と釈尊金銅仏を贈られたことをきっかけとして、明治37年(1904)に創建された寺院で、無論、名は「タイ」を表す。天女像は日泰寺のまさに門前にある「千躰地蔵堂」の脇の奥まった場所にある。 左手…

凱旋紀念博覧会の噴水(その三)

寄り道で仏教図像学。古い新聞の常で「常滑製の天女の立像」(「扶桑新聞」3月6日付)、「技藝観音の噴水」(同3月12日付)、「工藝の神像」(同4月16日付)と表記が安定しない。それではと、日本の図像学といえばまずはこの本だ、という荒俣先生の…

凱旋紀念博覧会の噴水(そのニ)

思わぬ発見で中断した名古屋凱旋紀念博覧会(明治39年)の噴水の記事を再開。まずはおさらいから。 名古屋凱旋紀念博覧会は、日露戦争での勝利を祝して開かれた博覧会である。開会は3月20日。会場整備に手間取り、予定より五日遅れでの開会となった。 …

噴水と叙述トリック

まずはクイズを1問。これはある場所の観光絵葉書セットの外袋である。■で隠された言葉は何? さて、今回のテーマは「噴水と叙述トリック」である。ミステリー小説の世界に「叙述トリック」という言葉がある。文章で巧みに読者を誘導し、読者の思い込みを手…

日本初のデザインコンペの噴水

明治22年(1889)4月、造家学会が発行する『建築雑誌』の28号に「会告」として次のような記事が載った。皇居・二重橋(鉄橋)の袂にある櫓台、すなわち石垣の上に設置する銅器のデザインを募集するというものだ。一等から三等まで、賞金総額は50…

日比谷ダイビルの噴水

東京・日比谷の森にほど近いビルの森の一角に珍獣棲まう森がある。ビルの正面に、側面に、ビル前の広場に、と至るところで珍獣の姿が確認できる。トラともクマともキツネともつかぬ奇怪な相貌の彼らが棲む森の名は「日比谷ダイビル」という。大正12年(1…

浴場噴水十景