博覧会の噴水

第一回内国勧業博覧会の噴水

宮内庁三の丸尚蔵館『内国勧業博覧会―明治美術の幕開け』展解説図録より。この噴水と「噴水の日」をめぐるあれこれについては、「『噴水の日』をめぐるすっきりしない話」http://blogs.yahoo.co.jp/eigajin/54058466.html にて。

2011夏:噴水の旅―番外篇(観覧車・小便小僧)

この夏の旅で発見した噴水について書き留めている途中だが、こちらは番外篇。特命捜査中の観覧車情報と小便小僧情報である。 8月17日に福岡県立図書館を訪れた。東亜勧業博覧会の資料を探すのに大変お世話になった図書館だ。その『東亜勧業博覧会誌』の現物…

2011夏:噴水の旅―地方博覧会の噴水(2)

愛媛県立図書館では合計30点の博覧会資料を見せて頂いた。 ●『豊橋市商工会主催全国特産品博覧会誌』 1930(昭和5)年、愛知県の豊橋市で開かれた博覧会。会期は3月20日から5月13日まで。会誌の本文中には、噴水について書かれた文章を発見できなかった。あ…

2011夏:噴水の旅―地方博覧会の噴水

旅の楽しみの一つに地元の図書館訪問がある。「旅に出て、なにも図書館に籠ることはないだろう」という向きもあるだろうが、準備さえしっかりしていけば、旅先の図書館はお宝の山なのだ。書庫には国会図書館に所蔵されていない本もゴロゴロしている。これを…

「噴水の日」をめぐるすっきりしない話

どこの誰が言い出したのか、8月21日は「噴水の日」だという。この「噴水の日」をめぐるすっきりしない話を書いてみたい。試しにネットで「噴水の日」の由来を調べてみると、表現は多少異なるが、およそ次のような文章が出回っている。 「1877(明治10)年の…

2011夏:噴水の旅―香川大学・神原文庫の噴水史料

長崎への帰省の旅路を利用して四国の高松と松山を訪れた。 高松でのお目当ては香川大学付属図書館の「神原文庫」。「神原文庫」は、香川大学の初代学長、神原甚造氏収集の旧蔵図書・資料約12,000点、16,560冊(和漢書15,890、洋書670冊)その他から成る文庫…

1915(大正4)年の御大典関連の噴水

浮田仙太郎年表(随時更新)

浮田仙太郎/ウキタ電気営業所(と思われる)情報を時系列に整理してみた。 ・大正2年頃 大阪(新世界)で阪神広告社を経営 ・大正3年 東京の東京大正博覧会で「美人島旅行館」を考案? ・大正11年 東京の平和記念東京博覧会で電飾に従事 ・大正15年 …

浮田仙太郎/ウキタ電気営業所(書きかけ)

株式会社ムーンスター社の「つきほし歴史館」で見た噴水塔と東亜勧業博覧会の噴水塔(「水晶球塔」) http://blogs.yahoo.co.jp/eigajin/53703423.html について、地元福岡の福岡県立図書館にレファレンスをお願いしていたところ、思わぬ収穫があった。博覧…

京都岡崎の噴水(続)

前回の「京都岡崎の噴水」で紹介が漏れてしまったのがこちら。一九二〇年(大正九年)の「平和記念航空博覧会」の噴水塔。 「平和記念航空博覧会場鳥瞰図」絵葉書 同上(部分:拡大) 「平和紀念航空博覧会場 中庭の噴水の夜景」 噴水の下部を拡大して見ると…

つちやたびの噴水塔(書きかけ)

こちらは昨年末に訪れた「つきほし歴史館」で撮らせて頂いた「大濠公園広告塔」の写真(の写真)。「つきほし歴史館」は福岡県久留米市にある株式会社ムーンスターの本社敷地内に併設された企業博物館で、足袋から始まった同社の歴史を「モノ」語る、製品や…

京都岡崎の噴水

一八七七年(明治十年)、東京の上野で第一回内国勧業博覧会が開かれた。東京では以来、博覧会といえば上野での開催が定番となり、何度も博覧会の会場に選ばれた。十八年後の一八九五年(明治二十八年)、第四回内国勧業博覧会が行われた京都では、会場とな…

ポンプと噴水

博覧会などで噴水は人々の耳目を集める格好の広告媒体として、社名や商品名の売り込みに大いに利用された。福助足袋と広告合戦を繰り広げた足袋メーカー、つちやたびの巨大噴水「水晶塔」や、中山太陽堂の「カテイ石鹸大噴水塔」(http://blogs.yahoo.co.jp/…

大典記念京都博覧会の噴水(1915年)

一九一五年(大正四年)、大正天皇の即位式のひと月前の十月十日から京都で始まった大典記念京都博覧会の噴水塔。祝意を表す瑞獣として、池の中央に建つ石柱の上には双翼を広げ今まさに飛び立とうとする「霊鷹」、石柱のたもとには三頭の「麒麟」を配する。 …

つちやたびの噴水広告(後編) ・補

つちやたび水晶塔のイルミネーション夜景絵葉書。

凱旋紀念博覧会の噴水(その五・その後)

「博物館々内光景」絵葉書(記念スタンプは「内国商工品共進会」) 「博物館々内光景」絵葉書(拡大) 常滑市営火葬場の伎藝天女(名古屋に運ばれたものとおそらく同型) 絵葉書の撮影年代特定は難しいが、記念スタンプに従えば、明治40年(1907)、4…

カテイ石鹸大噴水塔と泰西名画

「カテイ石鹸大噴水塔」絵葉書 須賀健吉編『平和記念東京博覧会案内』より。 「不忍池の真中に屹然として立つた噴水塔がある、その噴水の奔騰高さは百五十尺、夜となれば電気応用の大仕掛けに只見る満天の飛沫、五彩の光龍、爛として虹と流れ、燦として火花…

つちやたびの噴水広告(後編)

つちやたびは九州一円、中国、四国、関西と販路を拡大していく過程で、人目を引く目新しい宣伝広告を積極的に取り入れた。九州で初めて自動車を購入し宣伝カーとして走らせたという二代目倉田雲平(初代倉田雲平の長男金蔵)の夫人は「主人はかねがねつちや…

つちやたびの噴水広告(前編)

明治時代後半から大正時代にかけて日本の足元を揺るがす大戦争が起こった。この戦争の年代記を紐解くと、大正4年(1915)頃の戦況を振り返り、このように記している。 「この時代に於て特記しなければならないことは、九州、中国、四国方面に於ける有名…

凱旋紀念博覧会の噴水(その四)

まず訪れたのは名古屋の覚王山日泰寺。タイから仏舎利と釈尊金銅仏を贈られたことをきっかけとして、明治37年(1904)に創建された寺院で、無論、名は「タイ」を表す。天女像は日泰寺のまさに門前にある「千躰地蔵堂」の脇の奥まった場所にある。 左手…

凱旋紀念博覧会の噴水(その三)

寄り道で仏教図像学。古い新聞の常で「常滑製の天女の立像」(「扶桑新聞」3月6日付)、「技藝観音の噴水」(同3月12日付)、「工藝の神像」(同4月16日付)と表記が安定しない。それではと、日本の図像学といえばまずはこの本だ、という荒俣先生の…

凱旋紀念博覧会の噴水(そのニ)

思わぬ発見で中断した名古屋凱旋紀念博覧会(明治39年)の噴水の記事を再開。まずはおさらいから。 名古屋凱旋紀念博覧会は、日露戦争での勝利を祝して開かれた博覧会である。開会は3月20日。会場整備に手間取り、予定より五日遅れでの開会となった。 …

凱旋紀念博覧会の噴水(書きかけ5/18_01:17)

2枚の絵葉書をご覧いただこう。これでパッと気づいた方は素晴らしい注意力の持ち主である。 1枚目の絵葉書。時は明治39年(1906)。「明治三十七八年戦役陸軍凱旋観兵式紀念」「39-4-30 名古屋」というスタンプがあるが、これは名古屋のどこ…

キリンビールの大胆すぎる噴水

博覧会の噴水は各種のパビリオンと同様、会期が終われば多くは撤去される運命にある。大胆すぎるデザインは、仮設の建造物なればこそ。 昭和8(1933)年、奈良で開かれた観光産業博覧会、第一会場に設置されたキリンビールの噴水塔である。 キリンビールの大…

此大噴水ハ藤…

※本記事は「カテイ石鹸大噴水塔」の続きです。 噴水塔の脇へ視線を転じてみよう。池中にはなにやら文字の書かれた丸い看板が並んでいる。途中で見切れてしまっているが、いったい何と書かれていたのだろうか。 少し引いて見ると全部で19文字分の――1文字は電…

カテイ石鹸大噴水塔

大正11年(1922)、東京の上野公園を舞台に催された「平和記念東京博覧会」。第二会場となった不忍池には、ひときわ目を引く2つの巨大な噴水塔があった。ひとつは、つちやたび(現在のムーンスター)の「水晶塔」。四面ガラス張り七層の塔で、最上部から噴き…

東京大正博覧会の噴水

大正3年(1914)、東京・上野で開催された東京大正博覧会の噴水塔。不忍池に建設中の様子を捉えた1枚である。完成後の姿について当時の新聞は次のように伝えている。 「構造は人造石を以て畳み上げし噴水盤は直径百五十六尺にて塔の高さは水面より百五十尺に…

岡山児童博覧会の噴水

「児童博覧会本館 噴水 (工業学校出品)」とあります。 記念スタンプには「岡山児童博覧会記念」とあり、 裏面にも「岡山市下之町川崎国旗堂発行」とあることから、 開催地は岡山と考えて間違いないと思います。 「児童」と謳う博覧会らしく、金太郎と鯉を…

「博覧会画報(十四)青銅九龍式正門前噴水」

都新聞 明治36年3月11日(1面)

「第五回博覧会(十九)」

都新聞 明治36年3月7日(1面) 第五回博覧会(十九) 大阪に於て 春潮生 …正門前面なる蓮葉九龍形噴水器、挙式前夜に及んで僅かに成る、しかも其水盤の中、「九龍形云々代価金一万二千円、大坂銅器商組合出品」の澪標形標示札を樹つ、識者、顰蹙して式場背後…