京都岡崎の噴水

 一八七七年(明治十年)、東京の上野で第一回内国勧業博覧会が開かれた。東京では以来、博覧会といえば上野での開催が定番となり、何度も博覧会の会場に選ばれた。十八年後の一八九五年(明治二十八年)、第四回内国勧業博覧会が行われた京都では、会場となった岡崎が以後上野同様、博覧会の地として定着する。
 
 一九一五年(大正四年)に岡崎で開かれた大典記念京都博覧会では会場の南西の区画(現在は京都市勧業館みやこめっせがある辺り)に噴水塔が建てられた。このときは、大典すなわち大正天皇即位式を祝い、瑞獣の「霊鷹」と「麒麟」の像が噴水塔を飾った。
 
 岡崎で行われた博覧会の絵葉書の中から、この噴水池で撮影された絵葉書を見比べると、博覧会が行われる度に趣向を変え噴水塔が作られてきたことが分かる。以下、大正時代の四つの博覧会(「大典記念京都博覧会」「戦捷記念全国衛生博覧会」「戦後発展全国工業博覧会」「皇孫御降誕記念コドモ博覧会」)を経て昭和初期の博覧会に至る変遷をご覧いただこう。
 
イメージ 2
 
イメージ 1
「大典記念京都博覧会 第一会場庭園の噴水」絵葉書
(上記会場図で噴水池を矢印の方向に撮影)
 
イメージ 3
「戦捷記念全国衛生博覧会 貴賓休憩所」絵葉書
一九一九年(大正八年)
(噴水池を北から南に向かい、矢印とは反対の向きに撮影、以下同じ)
 
イメージ 4
「戦後発展全国工業博覧会 第一会場中庭之噴水」絵葉書
一九二一年(大正十年)
 
イメージ 5
「皇孫御降誕記念コドモ博覧会 奏楽堂 噴水塔」絵葉書
一九二六年(大正十五年)
 
イメージ 6
「大礼記念京都大博覧会東会場 第一本館庭園」絵葉書
一九二八年(昭和三年)