2013-01-01から1年間の記事一覧
松斎吟光の『辰之口勧工場庭中之図』(三枚続)という錦絵がある。1882年(明治15)6月に発行されたこの錦絵は「辰之口勧工場」の庭を画題としたもので、画面左の池に噴水が描かれている。明治時代の商業施設と噴水の関わりを知るため、まずはこの「辰之口勧…
明治維新は芝居の世界にも変化をもたらした。東京市中では1872年(明治5)の規制緩和政策により、翌年の1873年(明治6)新たな劇場の開場が相次いだ。春木座もこの年に当初奥田座として本郷春木町に開場した劇場で、1876年(明治9)地名を取り春木座と改名す…
「今度新築の陸軍参謀本部の表門前へ噴水器を取設けられんとて着手中」(読売新聞、明治14年4月16日) 明治14年(1881)、新築中の陸軍参謀本部の前に噴水を設ける計画があった。また、東京曙新聞によれば、陸軍参謀本部の玄関の天井には当代一の漆喰細工の…
一九一二年(明治四十五)七月一日、大阪堺の浜寺海水浴場の開場を伝える『大阪毎日新聞』の広告は「大脱衣場=大休憩所=清水浴場=海上運動場=海上大噴水の諸計画は悉く面目を一新せり」と新しいアトラクションの登場を予告している。明治時代最後の年の…
NHKのテレビ番組『美の壺』で放送された「噴水」の回が、Eテレ『美の壺』セレクションとして再放送されるようです。夏本番の前に目に涼し気な噴水を。前回の放映直後、落雷で故障するというアクシデントに見舞われた北海道・モエレ沼公園の大噴水「海の噴水…
『愛媛新聞』1965(昭和40)年3月20日朝刊 「道後の玄関に七色のニジ」 「松山市と道後温泉事務所が春の観光シーズンにまにあわせるため工事を急いでいた道後温泉駅前の放生池噴水が十九日完成、道後の玄関に七色のニジをえがいて観光客を歓迎している。 噴…
写真は1922(大正11)年9月26日付の『山梨日日新聞』に掲載された舞鶴城公園の謝恩碑である。鶴の噴水はこの謝恩碑の目と鼻の先の池にあったものだが、この写真の時点ではまだ池もないように見える。それが正しければ、1922(大正11)年10…
すぐに設置時期が判るかと思いきや、なかなかたどり着かない舞鶴城公園の鶴の噴水。1935(昭和10)年の年賀状にイラストとして書かれており、少なくとも1935年以前に設置されたことは確かだ。1985(昭和60)年の再建時に作られた石碑(「舞…
山口県岩国市の吉香公園の噴水である。過去形ではなく、戦前の絵葉書に写る噴水と同じものとおぼしき噴水が現役で動いている。 1885(明治18)年の吉香神社移築をきっかけとして、その境内地の公園化が進められた吉香公園は、戦前の絵葉書では「吉香神社公園…
こちらの噴水もその歴史が少しずつ掴めてきた。絵葉書の噴水と新聞記事中の噴水が一致するものか、まだはっきりとしないが、1907年12月の『静岡民友新聞』で沼津公園で建設計画中の噴水が登場する記事を見つけた。 「曾て白澤林学博士より日本唯一の公…
熊本在住の友人の導きで、この絵葉書の噴水が熊本市内の辛島公園にあった噴水だったということが分かった。そこで、熊本日日新聞社がネット上で公開している「熊日写真ライブラリー」で検索してみると、友人と話していたこの写真の印象のとおり、昭和30年…
1908(明治41)年6月11日付の『山梨日日新聞』が設置計画を報じた甲府駅前の噴水は、その後同年8月中旬に竣工したことが判明した。 「同駅二等待合室の前に噴水池を設け…数日前竣工したるに付早速噴水試験を行いたる所其成績頗る良好にして優に二…
旧千葉県庁前にあった噴水がいつ建設されたのか追跡中。『絵による図でよむ千葉市図誌』上巻67頁に掲載された昭和2年の鳥瞰図にはすでに描かれており、それ以前の建設であると思われる(明治44年、旧千葉県庁が竣工したときの新聞記事や写真には噴水が…
1.高崎白衣大観音 どんな観光地にも一つは定番の「絵になる構図」があるが、高崎白衣大観音の場合はこれが一つの定番だったらしい。 2.スワンボートコレクション ここにあるスワンボートはいずれもオール式だが、いつペダル式のスワンボートは生まれたの…