公園の噴水

浅草・ひょうたん池の噴水

今年の元日、NHKで「1914 幻の東京~よみがえるモダン都市」という番組が放送された。100年前の街の風景と人々の暮らしを高精細の復元映像と再現ドラマで見せていくという番組で大変面白く、期待していた通り戦前の噴水も登場したのだが、これは惜しかった。…

噴水と浜寺海水浴場

一九一二年(明治四十五)七月一日、大阪堺の浜寺海水浴場の開場を伝える『大阪毎日新聞』の広告は「大脱衣場=大休憩所=清水浴場=海上運動場=海上大噴水の諸計画は悉く面目を一新せり」と新しいアトラクションの登場を予告している。明治時代最後の年の…

【メモ】舞鶴城公園(甲府城)の鶴の噴水-2

写真は1922(大正11)年9月26日付の『山梨日日新聞』に掲載された舞鶴城公園の謝恩碑である。鶴の噴水はこの謝恩碑の目と鼻の先の池にあったものだが、この写真の時点ではまだ池もないように見える。それが正しければ、1922(大正11)年10…

【メモ】舞鶴城公園(甲府城)の鶴の噴水

すぐに設置時期が判るかと思いきや、なかなかたどり着かない舞鶴城公園の鶴の噴水。1935(昭和10)年の年賀状にイラストとして書かれており、少なくとも1935年以前に設置されたことは確かだ。1985(昭和60)年の再建時に作られた石碑(「舞…

岩国・吉香公園の噴水

山口県岩国市の吉香公園の噴水である。過去形ではなく、戦前の絵葉書に写る噴水と同じものとおぼしき噴水が現役で動いている。 1885(明治18)年の吉香神社移築をきっかけとして、その境内地の公園化が進められた吉香公園は、戦前の絵葉書では「吉香神社公園…

沼津公園(千本浜公園)の噴水

こちらの噴水もその歴史が少しずつ掴めてきた。絵葉書の噴水と新聞記事中の噴水が一致するものか、まだはっきりとしないが、1907年12月の『静岡民友新聞』で沼津公園で建設計画中の噴水が登場する記事を見つけた。 「曾て白澤林学博士より日本唯一の公…

熊本・辛島公園の噴水

熊本在住の友人の導きで、この絵葉書の噴水が熊本市内の辛島公園にあった噴水だったということが分かった。そこで、熊本日日新聞社がネット上で公開している「熊日写真ライブラリー」で検索してみると、友人と話していたこの写真の印象のとおり、昭和30年…

戦後まもない頃の日比谷公園・鶴の噴水

戦後間もない頃の日比谷公園の鶴の噴水を写した珍しい絵葉書を入手した。噴水の右奥に見える建物は日比谷公会堂で、この池は心字池である。1903年(明治36)の日比谷公園開園以来、雲形池で涼を提供してきた鶴の噴水は戦後のほんの一時期、日比谷公園…

京都・円山公園の噴水

古書市で大量の絵葉書をシャカシャカとめくりながら噴水の絵葉書を瞬時に抜き取るのに必要なのは鵜の目鷹の目、どんなに小さく写り込んでいても噴水を見逃さない眼力である。 京都・円山公園の噴水絵葉書「京都名所 円山公園」 同上(拡大) 京都・円山公園…

米子市制記念噴水の今

大阪・中之島公園の大噴水

神殿型噴水塔

【番外編】ホノルル・カピオラニ公園の噴水・4

御即位大礼奉祝会は「鶴亀の噴水器」を建設すると決めたものの、いざ建設に向けてデザインや予算を詳しく調べ始めると、日本から横槍が飛んできた。 奉祝会がモデルとして念頭に置いていたのは東京・日比谷公園の鶴の噴水である。奉祝会の依頼を受け日本で調…

【番外編】ホノルル・カピオラニ公園の噴水・3

大正4(1915)年7月26日、御即位大礼奉祝会は発足した。発足当日からすぐさま様々な事項の審議に入り、噴水器建設も論じられている。 永久的記念物として「鶴亀の噴水器」を建設してこれをホノルル市に寄進する、会の委員長となった領事の有田八郎(…

【番外編】ホノルル・カピオラニ公園の噴水・2

大正天皇の即位式を11月に控えた1915(大正4)年夏、海の向こうのハワイでは、即位を祝し、在留邦人によるモニュメントとして噴水塔の建設計画が持ち上がった。噴水塔の製作は、総領事館から外務省を通じ、東京美術学校(現在の東京芸術大学)が請け負った(…

日比谷ダイビルの噴水

東京・日比谷の森にほど近いビルの森の一角に珍獣棲まう森がある。ビルの正面に、側面に、ビル前の広場に、と至るところで珍獣の姿が確認できる。トラともクマともキツネともつかぬ奇怪な相貌の彼らが棲む森の名は「日比谷ダイビル」という。大正12年(1…

噴水の旅・天童篇

山形旅行2日目。午前中は山形市内の散策。午後は将棋の町、天童へ向かう。天童といえば将棋、特に人間を駒に見立てて対局する「人間将棋」が有名だろう。名物「人間将棋」は毎年、天童市内の中心部、舞鶴山の天童公園で繰り広げられる。しかし、今年の対局…

噴水の旅・山形市内篇

山形・千歳公園の噴水のことを記事に書いたのが2006年。山形に行こうと手元に買ってあった「るるぶ山形」は2007年版。あっちの噴水、こっちの噴水に浮気の日々で、実に3年が経ってしまった。いかんいかん。晴れた日は噴水を見に、今回は5月3日か…

米子市制記念噴水

昭和2年(1927)4月1日、全国で102番目の市として誕生した鳥取県米子市の市制施行を記念する鯉の噴水(下の写真は『新修米子市史』より)。工費1,583円81銭をかけて錦公園の公会堂南面に設けられた。完成は昭和3年11月13日。この日、市制実施の祝賀会が公会…

【番外編】ホノルル・カピオラニ公園の噴水

大正天皇の即位式を11月に控えた大正4年(1915)夏、海の向こうのハワイでは、即位を祝し、在留邦人による噴水建設計画が持ち上がっていた。有志で結成した「御即位大礼奉祝会」が旗振り役となり、1万人の会員が集まるという見込みの下、会員からひとり1ド…

仙台・西公園の噴水

「仙台 随一の散策地 西公園」の噴水。

福島・紅葉山公園の噴水

(書きかけ)

鶴は千年、亀は万年④

さて、その亀の噴水はどのようなものだったのだろう。 当時の新聞記事によれば「又当地行在処の御庭に当るところへ鶴の形に池を掘り該地へ唐金製の大亀を置き北隣なる勧業課附属の製糸場の溜池より水を引き該亀の口より水を吐かせ其水を行在処御風呂場へ引く…

長崎公園(諏訪公園)の噴水

長崎くんちで知られる諏訪神社(長崎市)の境内地の隣にある長崎公園。現在の噴水は明治11年に発行された岡月洲『長崎諏方御社之図』(長崎歴史文化博物館蔵)を基に復元されたものである。

鶴は千年、亀は万年③

明治41年9月17日、山形市滞在2日目。東宮は宿所(「御旅館」)である山形高等女学校を出立、山形県庁、山形県師範学校、山形中学校、三浦製糸場と巡り千歳公園を訪れている。当時の新聞は「御車より下りさせられ池辺の風景噴水等を暫時御覧あり池の東北に高…

鶴は千年、亀は万年②

東宮の山形市への行啓は、最初に紹介した絵葉書の記念スタンプが伝える9月16日が初日であった。千歳公園に設置された噴水器について、当時の山形新聞は行啓前日の市中の光景として次のように述べている。「千歳公園内第一池の噴水器は己に竣功し岩上及び盤上…

鶴は千年、亀は万年①

明治41年8月、山形市会は明治41年度の追加予算として6,908円を計上し可決した。追加予算の9割強、6,551円は臨時費として計上されており、その内訳として「役所費」「土木費」「教育費」などの項目が並んでいる。支出の中味を見ると、土木費は「香澄町木の実…

一関公園の噴水

「一ノ関名所 一関公園ノ噴水」とあります。 これまた噴水としては不思議な位置に設置されています。 隣で噴水を眺める男性はどこを通って来たんでしょうか。

あの噴水は今

明治36年、浅草寺の観音堂近くに設置された噴水です。 噴水器自体は現在、観音堂の手前にあるお水屋に納まっています。

鶴舞公園の噴水

明治43年(1910)の「第十回関西三府二十八県連合共進会」の開催にあたり設置された、 名古屋・鶴舞公園の噴水です。