【番外編】ホノルル・カピオラニ公園の噴水

 大正天皇即位式を11月に控えた大正4年(1915)夏、海の向こうのハワイでは、即位を祝し、在留邦人による噴水建設計画が持ち上がっていた。有志で結成した「御即位大礼奉祝会」が旗振り役となり、1万人の会員が集まるという見込みの下、会員からひとり1ドルの会費を徴収し建設資金に充てるという計画であったらしい。
 
御大典と布哇
鶴の記念噴水器

 今秋京都に於て挙行せらるべき今上陛下御即位御大礼奉祝方法に関しては布哇在留九万同胞の等しく考慮せし所なるが今回有志の間に同胞大会を開きて有田総領事代理を委員長に推し『御即位大礼奉祝会』を起して御大礼当日旺んに奉祝する事に決定したり、奉祝会の決議したる重なる条項を見るに会員を募集して会員より一弗宛の会費を徴し凡そ一万人の会員を得る予想にて右金額の内より永久的記念物として鶴の噴水器を作り之れをホノルヽ府に寄進するにありホノルヽ市民目下六万八千の人口中我日本人二万人以上を占め宛然日本人町の観ある同市に対して何等日本人の公共的寄進物のなきは遺憾なれば今回の類なき陛下の御即位式を記念せん為めに市に寄進するは最も機に適したるものなりといふは其の理由なり(以下略)

芸備日日新聞 大正4年(1915)8月22日

 先日の古書展で見つけた『布哇紹介写真帖』(日布時事社,1929)には、カピオラニ公園の風景を写した4枚の写真のうちの1枚として、この噴水の写真が収められていた。池の縁に腰かけた少女たちと比べてみると、かなり大きな噴水であったことが判る。脚注には「記念噴水塔―大正天皇御即位記念として在留民に依り建立、東京美術学校設計。」とあり、設計者として東京美術学校(現・東京芸術大学)の名前が挙がっている。

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 東京美術学校の記録には「鳳凰噴水器」という名前で登場する。『芸備日日新聞』の記事には「鶴の記念噴水器」とあるが、外務省の藤田敏郎の委嘱を受けて実際に建設された噴水は「鳳凰」をデザインしたものであったらしい。完成したのは3年後の大正7年(1918)10月であった(吉田千鶴子「東京美術学校委嘱製作資料」『東京芸術大学美術学部紀要』第13号)。

 美校では明治23年(1890)以来、事業として学外の依頼に応じて多数の製品を委嘱製作している。製品の中には噴水器もあり、記録として確認できる限り、第五回内国勧業博覧会の噴水、浅草公園の噴水、日比谷公園の噴水、東京勧業博覧会の噴水に続き、今回の「鳳凰噴水器」が五度目の噴水器製作であった。