鶴は千年、亀は万年③

 明治41年9月17日、山形市滞在2日目。東宮は宿所(「御旅館」)である山形高等女学校を出立、山形県庁、山形県師範学校、山形中学校、三浦製糸場と巡り千歳公園を訪れている。当時の新聞は「御車より下りさせられ池辺の風景噴水等を暫時御覧あり池の東北に高さ三尺五寸許の松樹を御手植に遊ばされたる」(山形日報,明治41年9月18日)とのお姿を伝えている。


 千歳公園が「諸方より来集せる数万の拝観者にて身動きも出来得ざる程なりき殊に噴水器の附近は一層の混雑を極めたり」(山形新聞明治41年9月18日)というお祭り騒ぎの只中にあったこの日、山形日報は噴水についてさらに興味深い記事を載せている。話は27年前に遡る。


 山形日報は「当市の行啓記念碑」と題した記事で次のように伝えている。「当山形市にては今回の東宮殿下行啓の記念として市役所庭内に一大記念碑を建立したるが右は去る明治十四年九月に天皇陛下御巡幸の砌り当時の南村山郡役所(*)庭内に噴水を築き銅製の大亀を載せたる台石を用いたれば………」(山形日報,明治41年9月17日)。


 明治14年東宮のご訪問に合わせ鶴の噴水が作られた27年前、山形市(当時は南村山郡)では、明治天皇のご訪問に合わせ亀の噴水が作られていたのである。


(*)山形市明治22年、市制町村制施行に伴い南村山郡から分立。