#東京都

浅草・ひょうたん池の噴水

今年の元日、NHKで「1914 幻の東京~よみがえるモダン都市」という番組が放送された。100年前の街の風景と人々の暮らしを高精細の復元映像と再現ドラマで見せていくという番組で大変面白く、期待していた通り戦前の噴水も登場したのだが、これは惜しかった。…

辰の口勧工場の噴水

松斎吟光の『辰之口勧工場庭中之図』(三枚続)という錦絵がある。1882年(明治15)6月に発行されたこの錦絵は「辰之口勧工場」の庭を画題としたもので、画面左の池に噴水が描かれている。明治時代の商業施設と噴水の関わりを知るため、まずはこの「辰之口勧…

春木座の噴水

明治維新は芝居の世界にも変化をもたらした。東京市中では1872年(明治5)の規制緩和政策により、翌年の1873年(明治6)新たな劇場の開場が相次いだ。春木座もこの年に当初奥田座として本郷春木町に開場した劇場で、1876年(明治9)地名を取り春木座と改名す…

陸軍参謀本部前の噴水

「今度新築の陸軍参謀本部の表門前へ噴水器を取設けられんとて着手中」(読売新聞、明治14年4月16日) 明治14年(1881)、新築中の陸軍参謀本部の前に噴水を設ける計画があった。また、東京曙新聞によれば、陸軍参謀本部の玄関の天井には当代一の漆喰細工の…

戦後まもない頃の日比谷公園・鶴の噴水

戦後間もない頃の日比谷公園の鶴の噴水を写した珍しい絵葉書を入手した。噴水の右奥に見える建物は日比谷公会堂で、この池は心字池である。1903年(明治36)の日比谷公園開園以来、雲形池で涼を提供してきた鶴の噴水は戦後のほんの一時期、日比谷公園…

第22回文化資源学研究会のご案内(チョロッとしゃべります)

10月13日(土)第22回文化資源学研究会@お茶の水女子大学にて、「噴水と近代日本」というテーマで発表する機会を頂きました。文化資源学会の会員以外の方でも自由にご参加頂けるとのことです(参加費は無料です)。人前で噴水の話をするのはこれでようやっ…

「噴水の日」をめぐるすっきりしない話

どこの誰が言い出したのか、8月21日は「噴水の日」だという。この「噴水の日」をめぐるすっきりしない話を書いてみたい。試しにネットで「噴水の日」の由来を調べてみると、表現は多少異なるが、およそ次のような文章が出回っている。 「1877(明治10)年の…

浮田仙太郎年表(随時更新)

浮田仙太郎/ウキタ電気営業所(と思われる)情報を時系列に整理してみた。 ・大正2年頃 大阪(新世界)で阪神広告社を経営 ・大正3年 東京の東京大正博覧会で「美人島旅行館」を考案? ・大正11年 東京の平和記念東京博覧会で電飾に従事 ・大正15年 …

戦争・天皇・水道―祝う噴水(1)

華やかで、非日常的な空間を簡単に作り出せる噴水は、祝祭の「おめでたい」気分を盛りたてる装置の一つとしてしばしば登場する。例えば、戦勝を祝う式典で。例えば、皇室の御慶事を祝う街角で。セレモニーが終われば取り払われる仮設の工作物として作られる…

つちやたびの噴水広告(後編) ・補

つちやたび水晶塔のイルミネーション夜景絵葉書。

カテイ石鹸大噴水塔と泰西名画

「カテイ石鹸大噴水塔」絵葉書 須賀健吉編『平和記念東京博覧会案内』より。 「不忍池の真中に屹然として立つた噴水塔がある、その噴水の奔騰高さは百五十尺、夜となれば電気応用の大仕掛けに只見る満天の飛沫、五彩の光龍、爛として虹と流れ、燦として火花…

つちやたびの噴水広告(後編)

つちやたびは九州一円、中国、四国、関西と販路を拡大していく過程で、人目を引く目新しい宣伝広告を積極的に取り入れた。九州で初めて自動車を購入し宣伝カーとして走らせたという二代目倉田雲平(初代倉田雲平の長男金蔵)の夫人は「主人はかねがねつちや…

つちやたびの噴水広告(前編)

明治時代後半から大正時代にかけて日本の足元を揺るがす大戦争が起こった。この戦争の年代記を紐解くと、大正4年(1915)頃の戦況を振り返り、このように記している。 「この時代に於て特記しなければならないことは、九州、中国、四国方面に於ける有名…

東京大学噴水物語(十・補遺)

銅像には人を冷静ではいられなくする何かがあるらしい。銅像に涙し、激高し、かつぎ出し、戦場へ送り、紙玉をぶつけ、縄を掛けてひきずりまわす。銅像に振り回される人/銅像を振り回す人という連想で、東大五月祭と絡めて話を一つ。題して「忠犬ハチ公・イ…

東京大学噴水物語(九・完)

「年に二三度の他は可能性をひそめて黙す『九輪』」(『東京大学学生新聞』昭和29年5月21日付)とは物は言いよう。昭和26年(1951)に復活を果たした噴水塔であったが、水を噴き上げるのはもっぱら学園祭など特別な時ばかりだった。美化せずに語…

東京大学噴水物語(八・続)

昭和26年(1951)10月4日付の『東京大学学生新聞』は「無視」という意味深なタイトルの記事で次のようなニュースを伝えた。 「アカデミズムの本舗・東京帝国(?)大学の、これ又中心にそそり立つロツクフエラー図書館の玄関前にささやかな噴水がで…

東京大学噴水物語(七・続)

西郷さんの大脱線から急いで本線へ戻る。 大学側の《わだつみ像》受入拒否に対し、像の寄贈・設置を企画した「わだつみ会」を中心に各界からすぐさま激しい非難の声が上がった。しかし、大学側を動かすには至らず、運動は自然と下火になり、第2ラウンドは翌…

東京大学噴水物語(六・続)

政治的な銅像という連想から、大きく脱線して「汚れた英雄」という話をはさみたい。噴水とは全く関係ない。 1980年代後半の東欧革命やソ連崩壊、近年ではイラク戦争で、一国の「英雄」の威信が一夜にして地に堕ち、銅像が引き倒されるという光景がたびた…

東京大学噴水物語(五・続)

3年ぶりの物語再開につき、時系列を振り返りつつ。 昭和3年(1928)現在の総合図書館前に登場した噴水塔は、昭和18年(1943)、戦時下の金属回収の動きに合わせて解体、図書館前から姿を消した。 時は流れて終戦後の昭和25年(1950)。前…

夏目漱石の墓と噴水(後編その5・完)

「裏手の池ハ水涸の儘なりし處今回水道部へ交渉の上噴水せしむる事となれり」(『都新聞』11月3日付)。靖國神社からは「至急」として明治36年10月19日付で、靖國神社宮司・賀茂水穂から東京市水道部長・田川大吉郎へ宛てて無料給水を求めた文書(…

夏目漱石の墓と噴水(後編その4)

手がかりは明治36年(1903)の新聞記事にあった。11月6日付『東京朝日新聞』の「靖國神社秋季大祭初日の景況」という記事だ。 防衛省防衛研究所図書館に残る陸軍省関連の公文書と重ねあわせると(国立公文書館アジア歴史資料センターのウェブサイト…

夏目漱石の墓と噴水(後編その3)

明治28年から38年の間、いつ金太郎噴水を本殿裏の池へ移設したか探る前に、この池には以前から噴水の設備があったことにも触れておきたい。 手元にある『九段坂靖國神社境内一覧』という三枚揃の錦絵では、右の一枚に滝と共に池中の岩場から噴き上がる噴…

夏目漱石の墓と噴水(後編その2)

明治28年12月、金太郎噴水のお披露目はこの池で行われた。 「靖國神社内濆水 鯉濆水ハ銅製 前田侯ノ寄奉」とある 名刺サイズの小さな古写真に写った金太郎横の立札。米粒ほどの立札に書かれたゴマ粒ほどの文字をパソコンで拡大し、眉間に力を入れ薄目で…

夏目漱石の墓と噴水(後編その1)

明治45年の岡山まで流れた筆を靖國神社の金太郎噴水へ戻そう。 金太郎噴水お披露目の明治28年へ戻る前にまずは明治38年の靖國神社へ。日露戦争只中の五月、靖國神社の臨時大祭で合祀者の遺族に贈られた「別格官幣靖國神社全圖」を片手に境内を散策する…

夏目漱石の墓と噴水(中編)

「九段、靖国神社境内にある鯉の噴水は、割合にも高い方で、あれは確か納富介次郎氏の図案で、石川県で作つたとおもふ、何でも前田侯から、寄進されたものと覚へておる。」(島田佳矣「噴水の少い都市」『現代之図案工芸』8巻7号、大正11年)。 靖国神社…

小石川植物園の噴水(補遺)

大正9年(1920)の帝国美術院第二回美術展覧会に出品された、深海雄二郎の『休める噴水』。

小石川植物園の噴水とショクダイオオコンニャク

7月24日、ショクダイオオコンニャクの開花に沸く小石川植物園へ。ショクダイオオコンニャクは別名のとおりスマトラ産の巨大コンニャクで、漢字で書けば「燭台大蒟蒻」。中心にそそり立つ太い軸と、軸を取り囲む「仏炎苞」(葉が変形したもの)が満開にな…

噴水と叙述トリック

まずはクイズを1問。これはある場所の観光絵葉書セットの外袋である。■で隠された言葉は何? さて、今回のテーマは「噴水と叙述トリック」である。ミステリー小説の世界に「叙述トリック」という言葉がある。文章で巧みに読者を誘導し、読者の思い込みを手…

日本初のデザインコンペの噴水

明治22年(1889)4月、造家学会が発行する『建築雑誌』の28号に「会告」として次のような記事が載った。皇居・二重橋(鉄橋)の袂にある櫓台、すなわち石垣の上に設置する銅器のデザインを募集するというものだ。一等から三等まで、賞金総額は50…

大倉喜八郎邸の噴水

明治の実業家、大倉喜八郎が赤坂葵町の私邸(現在はホテルオークラ東京)に設けた蓮の噴水である。 『風俗画報』の写真では「蓮」と判らなかったが、雑誌『太陽』第14巻2号(明治41年2月1日)掲載のお宅拝見記事「大倉喜八郎邸概観」によれば、「池の蓮花の…