日本初のデザインコンペの噴水

 明治22年(1889)4月、造家学会が発行する『建築雑誌』の28号に「会告」として次のような記事が載った。皇居・二重橋(鉄橋)の袂にある櫓台、すなわち石垣の上に設置する銅器のデザインを募集するというものだ。一等から三等まで、賞金総額は50円。
 
 宮城正門内鉄橋(旧二重橋)ノ際ノ櫓台上ニ巨大ナル銅器ヲ設置アルヘキニ就キ仮リニ本会ニ於テ其意匠考按ヲ懸賞問題二付シ其優等ナル者アル時ハ宮内省ヘ上申セントス乃チ其賞ヲ一等ヨリ三等マテニ分チ金五拾円或ハ之レニ均シキ物品ヲ以テ其賞与ニ充ントス此挙ニ応セント欲スル者ハ正寸ノ拾分一ノ竪図伏図及切図ヲ製シテ来ル五月二十日限本会事務所ニ御送付アリタシ(実地ノ図面ハ冊尾ニ載ス)
 
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「会告ニ在ル懸賞問題ノ実地図面」(『建築雑誌』28号)
 
 「造家学会が創立されて3年後明治22年、学会が宮内省の委託をうけて主催した『旧二重橋の櫓台上に設置さるべき銅器』のデザインコンペが公募されるまでは、建築設計コンペを企画する母体すら見当たらない」(近江栄「明治期における『設計競技』の史的位置について(その1)」)。
 
 明治期の建築史をつづった『明治工業史 建築編』(昭和2年)の「懸賞競技」の項でも、いの一番に紹介されているこの銅器の意匠募集は、日本建築史におけるデザインコンペの第1号とされている。
 
 さて、日本初のデザインコンペの結果はどうなったか。
 
 応募のあった図案はすべて宮内省に提出され、最終的に5つの案が選ばれた(『建築雑誌』31号「雑報」)。見事第一等に輝き、賞金25円を手にしたのは、のちに関西建築界で活躍する宗兵蔵。当時はまだ、造家学会に入会したばかりの工科大学生で、住所は「工科大学寄宿舎」という青年建築家であった。第二等にも工科大学生の案が入選。宗兵蔵の同期で、こちらものちに建築界で活躍する横河民輔が賞金15円を獲得した。
 
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第ニ等 横河民輔案「文武官騎馬之図」(『建築雑誌』33号)
 
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第一等 宗兵蔵案「噴水瓶之図」(『建築雑誌』32号)
 
 宗兵蔵の作品は「噴水瓶之図」。"DESIGN FOR BRONZE VASES"と題された図には、さまざまな瑞獣を配した噴水のデザインが描かれている。側面に龍と鳳凰(?)をあしらった瓶が渦巻く波の上に乗り、波間には数匹の亀(蓑亀)が見える。
 
 瓶から水が噴き上げるというデザインの噴水はあまり例がない。実作では、明治14年(1877)、東京・上野で開かれた第二回内国勧業博覧会で披露された、三匹の猩々が背負った瓶から噴水する「猩々噴水器」があるぐらいだろうか。このコンペ案が実現していれば、さぞかし見物であったと思われるが、「されど御都合により御中止となれり」(『明治工業史 建築編』)という。今からでも遅くはない。宮内庁関係の皆様、ここは一つ、ぜひ幻の噴水の復活を―――。