夏目漱石の墓と噴水(後編その3)

 明治28年から38年の間、いつ金太郎噴水を本殿裏の池へ移設したか探る前に、この池には以前から噴水の設備があったことにも触れておきたい。
 
 手元にある『九段坂靖國神社境内一覧』という三枚揃の錦絵では、右の一枚に滝と共に池中の岩場から噴き上がる噴水が描かれている。
 
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『九段坂靖國神社境内一覧』(三枚揃の右、部分)
 
 長崎大学附属図書館の「幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/には「九段公園」というタイトルでこの噴水と思われる写真http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=129が収録されている。後年量産される神池と金太郎噴水の絵葉書では、金太郎は岩場に立っていた。元々噴水として水を引く仕掛けを備えていたこの岩場へ金太郎を移して据え付けたと考えれば無理がない。
 
 先の錦絵では中央・左の二枚にまたがって大鳥居脇の池と噴水が描かれている。錦絵の制作年は「御届明治十 年 月 日」と空欄があり、残念ながら正確な年は不明だが、明治11年(1878)7月4日付の『読売新聞』に「九段の招魂社の境内ハ昨日より瀧が落ち水盤の吹き水も出る様になり」とあり、明治11年以降、境内はこの錦絵のように滝あり噴水ありと賑やかなことになっていたことがうかがえる。
 
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『九段坂靖國神社境内一覧』(三枚揃の中央、部分)
 
 
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『九段坂靖國神社境内一覧』(三枚揃の左、部分)
 
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