神社仏閣の噴水

日本一の噴水が京都にあった!

社寺の噴水でとりわけ異彩を放ったのは京都・東本願寺の噴水である。 「池の岸より竪に噴くもの五十本、池中よりするもの六本、人形や龍の口より横に噴くもの無数、それが一時にシユーとばかりに噴出し、サーとばかりに池に注ぐ、日光之に映じて幾筋の虹を現…

東本願寺の大噴水(2)

京都の「本願寺」といえば東と西、二つの本願寺がある。「京都の都人」にベルサイユ宮殿の大噴水を「詰まらなし」と言わしめた「我が本願寺の大噴水」は東の本願寺にあった。寺の北側、現在の花屋町通の辺りである。今は跡形も無いが、かつては大きな池があ…

東本願寺の大噴水(1)

一九一〇年(明治四十三年)六月五日、パリ。第一日曜は「月に一度、年に十二度のベルサイユ宮の大噴水噴出の日」とあって、ベルサイユ宮殿の大庭園には地元のパリっ子、フランス人はもとより、ロシア人、イタリア人、スペイン人と各国の見物客が詰めかけた…

夏目漱石の墓と噴水(後編その5・完)

「裏手の池ハ水涸の儘なりし處今回水道部へ交渉の上噴水せしむる事となれり」(『都新聞』11月3日付)。靖國神社からは「至急」として明治36年10月19日付で、靖國神社宮司・賀茂水穂から東京市水道部長・田川大吉郎へ宛てて無料給水を求めた文書(…

夏目漱石の墓と噴水(後編その4)

手がかりは明治36年(1903)の新聞記事にあった。11月6日付『東京朝日新聞』の「靖國神社秋季大祭初日の景況」という記事だ。 防衛省防衛研究所図書館に残る陸軍省関連の公文書と重ねあわせると(国立公文書館アジア歴史資料センターのウェブサイト…

夏目漱石の墓と噴水(後編その3)

明治28年から38年の間、いつ金太郎噴水を本殿裏の池へ移設したか探る前に、この池には以前から噴水の設備があったことにも触れておきたい。 手元にある『九段坂靖國神社境内一覧』という三枚揃の錦絵では、右の一枚に滝と共に池中の岩場から噴き上がる噴…

夏目漱石の墓と噴水(後編その2)

明治28年12月、金太郎噴水のお披露目はこの池で行われた。 「靖國神社内濆水 鯉濆水ハ銅製 前田侯ノ寄奉」とある 名刺サイズの小さな古写真に写った金太郎横の立札。米粒ほどの立札に書かれたゴマ粒ほどの文字をパソコンで拡大し、眉間に力を入れ薄目で…

夏目漱石の墓と噴水(後編その1)

明治45年の岡山まで流れた筆を靖國神社の金太郎噴水へ戻そう。 金太郎噴水お披露目の明治28年へ戻る前にまずは明治38年の靖國神社へ。日露戦争只中の五月、靖國神社の臨時大祭で合祀者の遺族に贈られた「別格官幣靖國神社全圖」を片手に境内を散策する…

夏目漱石の墓と噴水(中編)

「九段、靖国神社境内にある鯉の噴水は、割合にも高い方で、あれは確か納富介次郎氏の図案で、石川県で作つたとおもふ、何でも前田侯から、寄進されたものと覚へておる。」(島田佳矣「噴水の少い都市」『現代之図案工芸』8巻7号、大正11年)。 靖国神社…

夏目漱石の墓と噴水(前編)

大正五年十二月九日歿 俗名夏目金之助。 雑司が谷霊園の一角にある、文豪・夏目漱石の墓である。漱石の一周忌に際し墓所を移して新たな墓を建てることになり、「何でも西洋の墓でもなし日本の墓でもない、譬へば安楽椅子にでもかけたといつた形の墓をこさへ…

青海神社の噴水

新潟県加茂市にある青海神社の噴水。鶴の噴水に負けず、亀の噴水もちょこちょこと作例に遭遇する(愛知の豊川稲荷、山形の千歳館など)。現存しているようなので、ぜひ見に行きたい。