東本願寺の大噴水(1)

 一九一〇年(明治四十三年)六月五日、パリ。第一日曜は「月に一度、年に十二度のベルサイユ宮の大噴水噴出の日」とあって、ベルサイユ宮殿の大庭園には地元のパリっ子、フランス人はもとより、ロシア人、イタリア人、スペイン人と各国の見物客が詰めかけた。そのなかに日本人の姿もあった。
 
彼らは朝日新聞合資会社が企画した「第二回世界一周会」の会員で、豪華客船「地洋丸」に乗り込んで四月六日に横浜から出航、アメリカ各地を巡り、ロンドンを経て六月四日、パリに到着した。
 
『東京朝日新聞』(一九一〇年七月六日付)に掲載された、この六月五日のベルサイユ見聞録の中に、壮麗な噴水の描写とともにおもしろい発言が記録されている。
 
「池の岸より竪に噴くもの五十本、池中よりするもの六本、人形や龍の口より横に噴くもの無数、それが一時にシユーとばかりに噴出し、サーとばかりに池に注ぐ、日光之に映じて幾筋の虹を現し、四囲の緑樹と対照し、最も壮麗、大歓呼、大喝采、併(しか)しながら我が本願寺の大噴水よりは低し、少し詰まらなしと京都の都人は云やはりぬ」。
 
第二回世界一周会には関西地区の会員二十七名も参加していたが、発言者はおそらくそのうちの一人だろう。壮麗なベルサイユ宮殿の大噴水とはいえ高さでは「本願寺の大噴水」に劣ると言ってのけたという。