夏目漱石の墓と噴水(後編その1)
明治45年の岡山まで流れた筆を靖國神社の金太郎噴水へ戻そう。
金太郎噴水お披露目の明治28年へ戻る前にまずは明治38年の靖國神社へ。日露戦争只中の五月、靖國神社の臨時大祭で合祀者の遺族に贈られた「別格官幣靖國神社全圖」を片手に境内を散策する。極細の線を得意とする銅版で刷った境内図だけあって実に芸が細かい。
「別格官幣靖國神社全圖」〔部分〕(明治38年)※右下端をクリックすると拡大
大村益次郎の銅像は明治26年(1893)に落成。銅像、台座、台石は現存する。昭和18年(1943)3月から4月にかけて行われた戦時下の金属供出で金太郎噴水器とともに撤去された、台石の鉄柵と銅像を囲むように並べられた「旧式加農砲」の砲身も描かれている。
本殿裏の神池には我らが金太郎噴水。池畔には絵葉書に写るアーク灯?もきちんと描き込まれている。やはり芸が細かい。神池と金太郎噴水を撮影した絵葉書は種類が豊富で、四季折々の絵葉書が発行されている。
イは本殿
「(東京名所)九段公園噴水」絵葉書
「神苑」絵葉書
国策映画『靖國神社』(昭和14年)
青銅大鳥居(現在の第二鳥居)は明治20年(1887)12月31日に竣工。リは手水舎、スは額堂。明治38年のこの境内図ではすでになくなっているが、大鳥居の左手、手水舎と額堂に囲まれた付近には池があり、明治10年代から三連の噴水があった。
リは手水舎、スは額堂
厚手の台紙に貼られた名刺サイズの古写真
裏には筆書きで「靖國神社 噴水器」とある