小石川植物園の噴水とショクダイオオコンニャク

 7月24日、ショクダイオオコンニャクの開花に沸く小石川植物園へ。ショクダイオオコンニャクは別名のとおりスマトラ産の巨大コンニャクで、漢字で書けば「燭台大蒟蒻」。中心にそそり立つ太い軸と、軸を取り囲む「仏炎苞」(葉が変形したもの)が満開になった様子がロウソクと燭台に見えることから名付けられた。満開になると強烈な悪臭を放ち、それが死肉の臭いに似ているというので、現地では「死の花」というらしい。
 
 小石川植物園で開花するのは1991年以来の2例目。固く閉じていた仏炎苞が22日、ついに開き始めた。開花後の寿命はわずか2日。開花した姿を見るチャンスは23日、24日しかない。
 
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 15日に出たばかりのパンフレット『巨大コンニャクのなぞ タイタンとギガス』によれば、1991年の開花のときには、開花の前後6日間で約6,500人の見学者が訪れている。今回はその数字を軽く上回り、23日は午前10時半、約5,000人分の入園券を発券した時点で、混乱を避けるため発券中止。24日は園内で漏れ聞こえた話によると、午前中だけで約7,500人が訪れたらしい。結果、真夏の炎天下に3時間待ちの大行列となった。
 
 せっかく風が出ても、分厚い人の壁で行列の中までは風が届かない。無風状態の大行列に強烈な死臭が流れ込めば、地獄絵図になって面白かったが、開花開始からほぼ丸二日が過ぎて臭いはすっかり収まっていた。しかし、中は灼熱地獄。熱中症であやうく、「『死の花』で死者」にされてしまうところであった。
 
 押し寄せる人波にテントから押し出され、「おお、デカい」と間の抜けた感想しか出ないまま、異形の花との対面は5分で終わった。11時。
 
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ひと目見ようと大行列、この行列が3往復半して3時間待ち
ショクダイオオコンニャクが置かれたテントは右奥)
 
 こんな日は噴水で涼を取らねば。というわけで、昨日今日訪れた12,499人の来訪者に素通りされてしまったであろう、温室脇の噴水、だったものを取り上げたい。
 
 左右に翼を広げる大温室の脇に噴水、だったものがある。温室の正面入口(現在は開放せず)をはさんでシンメトリーに噴水池を配置する。往時の絵葉書を見ると、大小二層の水盤を持つ噴水だったようだ。2基の噴水器とも水盤部分は完全に失われている。
 
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現在の噴水池(正面向かって左側)
 
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小石川植物園 温室」絵葉書
 
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噴水、であったもの(下の画像と台座部分を比較すると、同じものであることが確認できる)
 
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噴水部分を拡大
 
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現在の噴水池(正面向かって右側)
 
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「(小石川植物園) 温室」絵葉書
 
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噴水部分を拡大
 
 2枚目の絵葉書は奇しくも84年前、大正15年(1926)7月21日に小石川植物園を訪れた牛込区在住の「雨宮」氏が、甲府のワイナリー・サドヤで働く知人の「小尾」氏に宛てて投函したものである。「愈々夏は来た。」と筆をおこした雨宮氏は、園内の様子をひとしきり綴り、この日は水曜日で、当時の規則では「日、土、祭日の外温室に入れぬ」と聞いて、「一寸がっかりしました。」と手紙を結んでいる。現在は日・月・祭日が閉室で、火曜~土曜の10時~15時が開室時間となっている。
 
 噴水はさらに稼働時間が限られていたようである。少し遡るが、明治43年(1910)9月10日に植物園を訪れた読売新聞の記者氏によれば、温室脇の噴水は「日曜でなかつたから水は噴いて居なかつた」という(読売新聞、明治43年9月11日付)。
 
 さて、本日も小石川植物園には大勢の見物客が押し寄せそうである。「ショクダイオオコンニャクは盛りを過ぎ、つぼんできました。臭いもまったくなくなりました。本日25日(日)には付属体(中央の棒状の部分)が倒れるかもしれません。」とのこと。入園券を買うまでが少々長いが、この噴水跡を見るだけなら大行列は無縁である。そして、温室前からちょいと移動すると、大行列を尻目にショクダイオオコンニャクのテント脇にひょいと出られるので、この記事を読んで下さった方はぜひそちらから。