東京大学噴水物語(八・続)

 昭和26年(1951)10月4日付の『東京大学学生新聞』は「無視」という意味深なタイトルの記事で次のようなニュースを伝えた。
 
 「アカデミズムの本舗・東京帝国(?)大学の、これ又中心にそそり立つロツクフエラー図書館の玄関前にささやかな噴水ができました、水がわき出るかは知りません何しろひどく古めかしい代物です」
 
 <いつまでも空き地にしておくから騒ぎの元になるのだ>という大学側の決断だったのか、図書館前の噴水塔跡に再び噴水塔が建ったのだ。写真に写った噴水塔は戦前の噴水塔と瓜二つ。この噴水塔の素性はのちほど追いかけるとして、続きを読もう。先の記事は噴水塔建設の意図を察知し、続けて「同一の空間は同時に二物によつて占有できないという公理がありますので、もうここに「わだつみ」の像が立つことはありません」と結んでいる。
 
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 東京大学に情報公開請求し手にすることのできた「東京大学図書館前噴水塔補修工事」の「竣功調書」という資料によれば、昭和26年10月27日付で工事の契約が交わされ、10月28日に着手、11月14日に竣功している。資料には「設計図書之通リ無相違竣功セシ事ヲ確認候也」とだけあり、工事の詳細は分からない。10月4日付の『東京大学学生新聞』の写真には既に噴水塔が写り、かつ水が出ていなかった(「水がわき出るかは知りません」)ことを考えると、この「補修工事」は通水のための工事で、まずは先に噴水塔を建てるだけ建てて空き地を塞ぎ、水が出るように急いで工事を手配し、最終決着を図ったという見方ができるのではないだろうか。
 
 わだつみ会の機関誌『わだつみのこえ』も10月15日付の「噴水のある風景」という記事で「図書館の前に噴水が立つた…いつぞやはこゝにわだつみ像が立つという話ではなかったか!」と憤りをあらわにしている。誰の目にも、噴水塔の建設と《わだつみ像》の建設阻止はコインの裏表の出来事として映ったようだ。
 
 ところで、『わだつみのこえ』が憤った理由はそれだけではない。「何しろひどく古めかしい代物」なのだ。記事がわざわざそう書いたのには、やはり裏があった。
 
 昭和19年4月、『帝国大学新聞』に「銅像横綱も往く/浜尾総長像など続々」という銅像の撤去を伝える記事が載った(4月10日付)。噴水塔の取り外しからほぼ一年後のことである。「学内随一の大銅像」という浜尾新元総長の銅像を筆頭に、コンドル博士、ウェスト博士、ベルツ博士、ダイヴァース博士、そして日露戦争で命を落とした帝国大学出身の工学士、かの市川紀元二中尉の銅像などの「出征」を報じている。
 
 ところが、昭和23年9月の『東京大学新聞』(9月9日付)を見ると、「浜尾総長と市川中尉」という記事が驚くべき事実を伝えている。
 
 「終戦後三年、兵隊服の学生は殆どなくなつたが、大学内の銅像は相かわらず台ばかり図書館裏にも御覧のように、浜尾総長と抜刀した日露役の市川中尉が雨にうたれている」
 
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 なんと、台座から降ろされ「出征」したはずの浜尾総長と市川中尉の銅像は学内に残っていたのだ。「これらもやがて元の座にもどるだろうが、くず鉄供出をさぼつたのは、大学が歴史を見通したのか、能率の悪い機構のせいかは分らない」。こうして残った浜尾総長の巨大な銅像は現在、東大の本郷キャンパスで見ることができる。残ったのは浜尾総長の銅像ばかりではない。市川中尉の銅像はのちに大学を出ることになるが、博士たちの銅像も何事もなかったように、今なお東大の本郷キャンパスで時を刻んでいる。
 
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 「何しろひどく古めかしい代物です」。そう、噴水塔もまた、解体後、実際には供出されずどこかで保管されていたようなのだ。
 
 東大側の資料では明確ではないが、『わだつみのこえ』は《わだつみ像》を建てる建てないで紛糾する最中に登場したこの噴水塔のことをはっきりと「戦争中も高らかに水を噴き上げていたその同じ噴水が、金属献納運動のときにはどこかの地下室に人知れず蔵つてをかれたその噴水が…」と断定し、まるで兵役を逃れた卑怯者のように非難の声を上げているが、万事休す。決着はついてしまった。そして《わだつみ像》は安住の地を探し、流転の旅、受難の旅を続けることになるが、それはまた別の物語に譲ろう。
 
 噴水塔の復活から2ヵ月後、12月1日に矢内原忠雄新総長が誕生し、12月6日付の『東京大学学生新聞』は1面を「名総長一代記」、「南原総長の業績を顧みて」、「去り行く名総長南原」(大内兵衛)など、南原総長を送る記事で飾った。その1面の片隅にはこのような一文があった。
 
 「思えばその去年の今ごろは「わだつみ」の像の建立をめぐつて、盛に論議がかわされていたものだが再び十二月八日を迎えようとしてみると、図書館前にはいつの間にか古風な噴水が鎮座している▼「古風」ばやりの近ごろとはいいながらいろいろと考えさせられることが多い。」
 
 《わだつみ像》が去り、総長が去り、激動の昭和26年は幕を閉じた。