陸軍参謀本部前の噴水

 「今度新築の陸軍参謀本部の表門前へ噴水器を取設けられんとて着手中」(読売新聞、明治14年4月16日)

 明治14年(1881)、新築中の陸軍参謀本部の前に噴水を設ける計画があった。また、東京曙新聞によれば、陸軍参謀本部の玄関の天井には当代一の漆喰細工の名人、伊豆の長八の手で飛龍を描くことになっていたらしい(明治14年7月26日)。装飾にも力を入れていたということか。

 ところが、参謀本部新築の予算が当初の見込を大きく越えそうだということになり、内部から異論が噴出した。

 「陸軍参謀本部の建築は六十万円の予算にて着手されしに追々模様替の場所等ありて昨今の見込にて十万円も予算の上に出るよしなれバ其掛官の中にても種々な議論が起り家屋や庭園を美麗になすより一挺でも銃砲を多く貯へるが陸軍の本務なるに門外へ噴水器などを設け水を貯へずとも陸軍の弱みになるでもなけれバ建築も程宜き処で見合ハせなるほうが宜らんとの論もあるよし(略)」(郵便報知新聞、明治14年8月29日)

 陸軍の本務は一挺でも多くの銃砲を貯えることである。陸軍参謀本部の建物や建物を美麗にすることではないはずだ。噴水など設けなくとも陸軍の弱みになるでもない。正論である。噴水というのはどうしたってこの種の議論に弱いのだ。華美である反面、無理無駄無用という批判にさらされやすい。

 さて、噴水の行方やいかに。