【番外編】ホノルル・カピオラニ公園の噴水・2

大正天皇即位式11月に控えた1915(大正4)年夏、海の向こうのハワイでは、即位を祝し、在留邦人によるモニュメントとして噴水塔の建設計画が持ち上がった。噴水塔の製作は、総領事館から外務省を通じ、東京美術学校(現在の東京芸術大学)が請け負った(「【番外編】ホノルル・カピオラニ公園の噴水」)。
 
それから3年。即位の御大典はとうの昔に終わっていたが、噴水塔はまだ完成していなかった。1918(大正7)年94日付でハワイの日系新聞『布哇報知』は「噴水塔は如何になるか」と題し次のように報じている。
 
大正四年の御大典を紀念として布哇在留民よりホノルヽ市に寄進する事に決し市当局と種々交渉の結果カピオラニ公園に噴水塔を建立する事になり件の噴水塔は有田領事在任の時外務省を通じて東京美術学校に全部注文する事となり起工以来少なくも半年位に竣工す可き予定にて大正五年十二月地鎮式を行い台地のコンクリート工事も一年前に終了し只管噴水塔の到着を期待し居るも延期に延期を重ねて到着せず外務省は七月十一日迄に竣工す可く美術学校は堅き約束をなせりと総領事館に打電し来たれど矢張り当てにはならず七月も過ぎ八月も過ぎて早や九月になるも何の音沙汰もなし件の噴水塔外ならぬ御大典の紀念物にて而もホノルヽ市に公式に寄進す可く一切の手続きをなし居るものなるに足かけ三年を経過するも一向埒あかずとは間の抜けたる事甚だしく委員諸氏は此際美術学校並に外務省の責任問題として強硬に抗議を持ち込みては如何
 
「噴水塔は如何になるか」とは言いつつも、これから進展があるという情報をつかんでから『布哇報知』はこの記事を出したのだろう。翌日には八月七日付を以つて外務省会計課長心得藤田敏郎氏より諸井総領事に宛て」で、噴水塔は7月に完成、81日には東京美術学校から搬出し、同月中には船便で送り出す旨の通知があったことを報じている。
 
とはいえ、足かけ三年、長らく待たされた懸案がこれにて一件落着とはにわかに信じがたい。『布哇報知』はそうした読者の声として「噴水塔は近々の内に到着するとの事であるが之れ迄の事を思ふと紺屋の明後日でとても当てにはならない」(96日)という投書を紹介している。
 
 
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