【メモ】舞鶴城公園(甲府城)の鶴の噴水-2

 写真は1922(大正11)年9月26日付の『山梨日日新聞』に掲載された舞鶴城公園の謝恩碑である。鶴の噴水はこの謝恩碑の目と鼻の先の池にあったものだが、この写真の時点ではまだ池もないように見える。それが正しければ、1922(大正11)年10月~1935(昭和9)年12月のどこかで建造されたと絞り込めるが、はたしてどうだろう。大正天皇御即位記念として謝恩碑の東側の池にありました」という言葉とは裏腹に、建造時期が御即位記念とは遠のいている感じもする。

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「本日除幕を行ふ謝恩碑」(山梨日日新聞、1922年9月26日付)


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舞鶴城公園」絵葉書

 なお、1915(大正4)年11月の山梨日日新聞に投書にあった「甲府中学校前の噴水」は、どうやら一時的な仮設の噴水だったようだ。どのような噴水だったか結局よく分からないまま、12月10日付の同紙投稿欄に「中学校前の噴水も斯くして一時的なものであったのか」という投書を見つけた。ちなみに投書したのは、ペンネーム「一市民」氏。一市民氏は過去にも「市水道課では貯水池の余り水を以て市内両公園に噴水を設置しては如何」(1915年7月2日付)、甲府中学校前の噴水は一番目に付く所だけに永久にあの儘にして置いて貰いたいものだ当局に望む(1915年11月14日付)と投書しており、随分と噴水に関心のある人だったらしい。一市民氏の投書には今後も要注目だ。

 おまけ。「第十銀行前のゴリラ」は御大典奉祝の人出を当て込んで神戸からやってきた動物見世物の目玉だったようだ。
 「神戸の人福永善吉氏の経営せる帝国巡廻動物園は来る九日より市内常磐町第十銀行前空地にて開園する由なるが身の丈九尺の大ゴリラ始めとして珍獣奇鳥多しと」(1915年11月8日付記事「巡廻動物園」)