浮田仙太郎/ウキタ電気営業所(書きかけ)

 株式会社ムーンスター社の「つきほし歴史館」で見た噴水塔と東亜勧業博覧会の噴水塔(「水晶球塔」) http://blogs.yahoo.co.jp/eigajin/53703423.html について、地元福岡の福岡県立図書館にレファレンスをお願いしていたところ、思わぬ収穫があった。博覧会の記録『東亜勧業博覧会誌』に「水晶球塔」の施工者として「浮田仙太郎」の名前があったというのだ(ちなみに「浮田仙太郎」でググっても大した情報は出てこない。以下、おそらくネット上ではもっと詳しいであろう「浮田仙太郎」情報である。誰が必要としているかはさておき)。
 
 初めて「浮田仙太郎」にニアミスしたのは『高松市主催全国産業博覧会誌』。1928(昭和3)年に香川県高松市で開かれた博覧会の記録だ。本館前のこの噴水の建設には「日本生命保険株式会社」が多額の費用を寄附し、「大阪ウキタ電気営業所」が請負、施工したとある。
 
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高松市主催 高松全国産業博覧会 本館ト噴水塔」絵葉書
 
 
 続いて遭遇したのは1926(大正15)年に大阪で開かれた「電気大博覧会」の記録。本館前の「日本生命保険噴水広告」の施工者として「浮田仙太郎」の名前があったのだ。ピンと来た。「『大阪ウキタ電気営業所』の『ウキタ』は、この『浮田仙太郎』のことではないだろうか」。
 
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「本館前噴水(電気博覧会)」絵葉書
 
 そして、福岡県立図書館から一報があったのと同じ日、国会図書館で「浮田仙太郎」と「ウキタ大阪営業所」の文字が並んだ新聞広告を発見した。私の山勘も捨てたものではない。発見したのは1928(昭和3)年3月20日付の『山陽新聞』(4面)に載った広告だ。縦書きで、右には「建築、電気、電飾、広告」、左には「遊園地、博覧会、設計施工」とある。これが「ウキタ大阪営業所」の事業内容ということだろう。大阪と東京に拠点があったこともわかった。
 
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 「ウキタ大阪営業所」が新聞広告を出したこの日、岡山市では「大日本勧業博覧会」が始まった。まだ確認はできていないが、おそらくこの博覧会でも何か設計施工を請け負ったのだろう。この噴水塔は浮田仙太郎が手がけたものに違いないと山勘は告げている(あながち根拠がないではない。噴水塔には「生命之泉」とある。高松と大阪の噴水は日本生命が費用を出している。日本生命浮田仙太郎を結ぶ線は確かにあるのだ。岡山の噴水塔が日本生命のものだとすれば、施工主は浮田仙太郎である可能性が高い)。
 
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岡山市主催 大日本勧業博覧会 第一会場 噴水塔と本館」絵葉書
 
 
 一度資料が見つかり始めると、面白いように情報が集まってくる。神保町の古書展で2万円をポンと、というのは嘘で、散々迷って2万円を払った『大阪新名所新世界写真帖』という本が手元にある。1913(大正2)年刊行。初代通天閣や遊園地ルナパークの様子を撮影した写真帖である。貴重な写真が並ぶ前半もさることながら、写真帖の後半が侮れない。後半には関西に拠点を置くさまざまな会社が会社案内を連ねている。例えば阪神広告社」という会社の案内はこうだ。
 
 「同社は浮田仙太郎氏の経営する処にして新世界内に於ける電灯意匠広告は悉く同社の取扱に係り多年の熟練は其の意匠考案の妙を顕し如何なる大広告工事と雖も最も奇抜に軽易に受ひ居れり」
 
 買っておいてよかった。さっそく「浮田仙太郎」の登場である。「阪神広告社」という名前に併記して「浮田看板店」とも書かれている。会社の住所は「本店 尼ヶ崎旧城内」「大阪出張所 天王寺新世界恵比須通」とある。尼崎から大阪新世界へ進出したのだろうか。
 
 また、高松や岡山の博覧会と同じ年、1928(昭和3)年に東京上野で行われた「大礼記念国産振興東京博覧会」に関する『朝日新聞』の記事にはこうある。
 
 「この外に『新天地』といふのが出来る大正博の際美人島を考案して人気を呼んだ浮田氏が肝いりで一切を電気仕かけにして眞物の美人を使つて『人魚』の様なものを見せ『人造人間』などといふ奇抜な趣向をしてゐるさうである」
 
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左から二つ目の看板に「各国美人の大乱世」とある。
 
 この博覧会で、美女が扮する「人魚」や「人造人間」を擁した「新天地」というアトラクションを手がけた「浮田氏」は、「大正博」で「美人島」という人気アトラクションを考案した人物だという。「大正博」の「美人島」とは、1914(大正3)年、上野で開かれた東京大正博覧会で話題を呼んだ「美人島旅行館」のことだろう。
 
 美人島旅行館は、現在の国立科学博物館の辺りに建設された娯楽施設で、「応募美人五百人より百人の美人を選抜し、館内に電光装置をなし、奇想天外来の方法を以て、千態の美人を露出す」(『実業之日本』第17巻第8号、大正博覧会写真号)。旅行館というだけあって、入館者は「月世界」や「女王の宮殿」などの異世界を旅するという設定だった。そこで選りすぐりの美女たちがどうしたかと言えば、「火の中に立つたり、水の底に現はれたり、大蛇になつたり、乙姫になつたりして見せ」たという。この世ならぬ姿のコスプレ美女たちと出会うお色気アトラクションだったようだ。「特に若い助平連中、行くワ々々々、入場料の廿銭位は何でもない」(笠原天山編『東京大正博覧会実記』)。
 
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「東京大正博覧会 美人島旅行館」絵葉書
 
 
 東京大正博覧会案内編集局編『東京大正博覧会観覧案内』によると、この美人島旅行館と同様の施設が大阪の新世界にあったという。先の『大阪新名所新世界写真帖』2万円也を調べると、確かに「美人探検館」という施設が紹介されている。ルナパークを囲むように設けられた興行館の一つであった。
 
 「美人探険館はルナパーク西通りにあり、開業当時一種の趣向の下に美人を応用して観客を呼びたりしが現今其趣向に多少変更を加へ魔窟探険と称して一種の呼物となれり」
 
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天王寺新世界 概図」絵葉書 ※赤丸が美人探検館
 
 この美人探険館に浮田仙太郎の阪神広告社がどこまで関わっていたのか、はっきりしないが、「新世界内に於ける電灯意匠広告は悉く同社の取扱に係り」というからには無関係だったということはないだろう。「大正博の際美人島を考案して人気を呼んだ浮田氏」が大阪から東京へ進出した浮田仙太郎だった可能性は高い。
 
 さて、東京での浮田仙太郎の活躍はまだまだわからないことが多いが、東京大正博覧会の8年後、1922(大正11)年の平和記念東京博覧会には関わっていたようである。
 
 「平和記念東京博覧会写真号」と銘打った雑誌『実業之日本』第25巻第7号の編集後記。雑誌折り込みの会場図(都立中央図書館の所蔵本では破り取られていた!)を手がけた洋画家、瀬野覚蔵を紹介する文章中、「瀬野画伯は博覧会の電飾に従事して居る浮田電気商会の顧問を依嘱されて居る関係上」とあった。浮田電気商会は博覧会の電飾を手がけたらしい。またその一方、こうしてプロの画家を迎え入れ、博覧会の鳥瞰図を描かせるというようなこともやっていたようだ。
 
 都立中央図書館所蔵の『平和記念東京博覧会完成全景図』という鳥瞰図には著作者・発行者として「浮田電気営業所」「浮田仙太郎」とある。鳥瞰図制作は他の博覧会でも実例がある。私の手元にある『福岡市主催東亜勧業博覧会全景図』では「ウキタ電気営業所 福岡出張所」が発行所として記載されている。