凱旋紀念博覧会の噴水(その三)

 寄り道で仏教図像学。古い新聞の常で「常滑製の天女の立像」(「扶桑新聞」3月6日付)、「技藝観音の噴水」(同3月12日付)、「工藝の神像」(同4月16日付)と表記が安定しない。それではと、日本の図像学といえばまずはこの本だ、という荒俣先生の教えに従い、手元の齋藤隆三『畫題辭典』を紐解くと、「伎藝天女」で立項されている。観音様とは違うものらしい。
 
 「伎藝天女は、佛敎にて天神の名あり、摩醯首羅の頭上より化生し、顔容端麗にして伎藝に長じたる女天をいふ、形像は天衣瓔珞をつけ、左手に天花を盛りたる皿を捧げ、右手は下に向つて裙を執るを通例とす。」
 
 「摩醯首羅」は「まけいしゅら」と読み、またの名を「大自在天」という別の神様の名前だという。ギリシア神話の知恵・技芸の女神アテナも大神ゼウスの頭から生まれたというから、洋の東西で同じイメージなのが面白い。「瓔珞」は「ようらく」と読み、珠玉や貴金属を糸に通して作った装身具のこと。図像としては「左手に天花を盛りたる皿を捧げ、右手は下に向つて裙を執る」のが特徴と言えそうだ。
 
 さて、仏教図像学に深入りはせず、凱旋紀念博覧会に戻ろう。結論から言うと、結局、天女像がいつ完成したのかは分からなかった。「扶桑新聞」の記者氏にはもう少し関心を持って報じて欲しかったが仕方がない。と、ここで気まぐれに「常滑」「伎芸天女」というキーワードでネット検索したところから大きく話が動き出す。
 
 驚いたことにこの天女像は常滑にまだ残っていたのである。
 
 ここで新たなキーワード「陶彫」が登場する。「陶彫」とは陶製彫刻、焼き物でできた彫刻作品である。ネットで得た情報によれば、「平野霞裳」なる人物が明治39年に製作した陶彫「伎芸天女像」が常滑市営火葬場にあるという。明治39年という製作年といい、「常滑製の天女の立像」「陶器作り」という条件と完全に一致する。
 
 さらに検索すると、常滑市民俗資料館発行の『平野霞裳展』(平成3年)というパンフレットを見つけた。さっそく民俗資料館に「伎芸天女像」について問い合わせたところ、学芸員の中野晴久さんから思いがけず決定的なメールを頂いた。この作品についての文献資料はないに等しい状態であると断られた上で、「平野霞裳」を師とした陶芸家で、常滑陶芸史の研究家でもあった二代山田陶山氏から「左手の持ち物のところから水が噴水のように出る仕掛けがしてあった」と直接伺ったことがあるという。疑う余地はない。
 
 そしてもう一通、常滑市観光協会の方から興味深いメールを頂いた。同じ作者の手による天女像が名古屋の覚王山日泰寺にもあるという。これはもう、いざ名古屋・常滑へ。