「博覧会の噴水器(一)」

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読売新聞 明治35年8月10日(2面)

博覧会の噴水器(一)

 第五回内国勧業博覧会会場の美観を添えんがため噴水器四個設置の計画あり。一個は美術館前、一個は工業館前、一個は堺市公園の中央、一個は水族館前に建設するものにて、同会事務局にては此等図案の調整及原型の製作を東京美術学校に依嘱したるを以て、同校にては直に之が監督主任を命じ暑中休暇を利用して、目下同科彫刻科教室に於て何れも熱心製作中なり。

 其一、美術館前の噴水器

 茲に掲げたるは美術館前の噴水器にして直径六十尺の池の中央に設置すべきものなり、一丈六尺楊柳観音、丈余の巌頭に踞し、左手に柳枝を携え、右手に水瓶を持し、其口より無量功徳水を噴出す。童子あり三人、丈何れも五尺、一人は起て水盤を手にして水瓶の水を受け、一人は寝転びて巌より出る噴水に戯れ、一人は三羽の鵞鳥を逐うて嘻戯する態なり。総高さ水面より二十尺、幅又二十尺之が図案製作家は同校助教授河邊正夫氏にて製作主任は教授高村光雲氏、助手としては助教授黒岩淡省及び同校卒業生渡邊長男、青木外吉、山崎和沾、水の谷鉄也の五氏天平の仏像、鎌倉時代の観音像等を参酌し最も酷く観音の相想を表現せんと苦心経営せる事感ずべく、美術応用の好作品として廿世紀初頭の我が内国博覧会場に偉大なる光彩を放つべきや疑なかるべし