謹賀新年

イメージ 1新年明けましておめでとうございます。「晴れた日は噴水を見に」の精神でさっそく見て来ましたるは、亀戸駅前公園の「はね亀」噴水(1992/平成3年)。
親子孫三代、羽ばたく亀戸、というわけでありますな。台座と池は亀甲の六角形。池の周囲のブロックには頭と尻尾、手足がペイントされ、池全体で、さらに大きな亀の見立てとなっています。
イメージ 2今年は、戦前の噴水の掘り起こしと一緒に、現役の噴水のセクシーショットもお届けしたいと思いますので、よろしければお立ち寄り下さいませ。
イメージ 3試みにYouTubeに動画もアップしてみました。日光でこれを見ずして結構と言うなかれ。輪王寺の勝道上人銅像前の噴水盤(1899/明治32年)。
1895/明治28年に亡くなった北白川宮能久親王の霊前に献納された龍の噴水盤(いつからここに移されたのかは未確認)。
長い胴をうねらせて、水盤のふちをぐわしっと掴み睥睨する龍の造形が見事。
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戦前の噴水については、気になっていることを備忘録的に。

まずは明治10年内国勧業博覧会の噴水。
「8月21日は「噴水の日」なんだそうだ。明治10(1877)年のこの日、東京・上野公園で開幕した勧業博覧会の会場に、日本ではじめて西洋式の噴水が登場したことにちなんでという。しかし、ネット上での調べものは便利なようで不便だ。「噴水の日」はいくらでも引っかかるが、見たサイトのいずれも「西洋式」と説明するにとどまり、それがどんな姿だったのかを明らかにしない。」という木下先生の声に勝手ながら奮起。ついでに、どこの誰が「噴水の日」って言い出したのかも気にしつつ。

明治10年代ではもう一つ、長崎・諏訪神社の噴水。
第一には『噴水史研究』が言及する資料をなんとか見つけ出したい。どうにも気難しい本で、引用されている資料が後追いできないトラップがそこかしこに。ついでに「復元」の問題。「長崎諏方御社之図」という絵図を基に復元された現在の噴水。ところが出てくる絵葉書、絵葉書、どれも絵図とは似ても似つかない噴水ばかり。復元をめぐりどんな力学が働いたのか、なんて。

日比谷公園の鶴の噴水に関して重大問題が発生。
公園の設計段階では「蝦蟇仙人」の噴水設置が検討されていたことを裏付ける絵図。
日比谷のグリーンアーカイブスに在ったはずがとうとう、存在そのものが抹消されてしまった模様。数年前に訪ねたときは検索システムに電子画像は引っかかるのに現物が行方不明、という状態だったのが検索システム上からも消えてしまった。