「箕面噴水の争水」

遊楽の公園と稼穡の農民

 府下豊能郡箕面村大字平尾の農民等は夏季灌漑用に供する為め毎年箕面山報恩寺及びカヤボ谷より落下する箕面川の渓流を堰き止め夏至以後百日間許り是を貯水して必要に応じ少量づつ同部落七十余町歩の田地に放下し来り本年夏季にも同じ必要に迫られ其水源に樋堰を設けたる処箕面公園内の噴水もまた此水流を引用し居りしこととて為に噴水は全く乾き切る始末となりしかば去る七月十四日箕面電鉄社員と池田警察署長は同村に赴き右の樋を切るべく交渉したるも村民は応ぜず談判不調中同会社にては池田署長立会の上樋を切り毀ちたるより村民は大騒ぎを為して池田署へ詰蒐けたるを署長は両三日間を約し一同を慰諭して其場は納まりたるが以来そのまま復旧されざるため田地は灌漑の水を欠きて稲苗枯死の心配あるより同村上田庄太郎他三十二名は同電鉄岩下社長を相手取り右*設工事の請求の訴を起し当地方裁判所民事第一部において審理中の処事実の疏明無き為め三日却下となりたるが多分再び書類を具備して出訴するに至るべしと

明治44年(1911)8月4日 大阪毎日新聞