箕面動物園の噴水

 箕面動物園は、箕面有馬電気軌道(のちの阪急)が沿線開発の一環として大阪府箕面市箕面公園に開設した動物園である。開園は明治43年(1910)11月1日。「広さ三万坪道路延長三哩 珍らしき動物無数四季の草花絶間なし 各所に休憩所あり 余興いろいろ」という園内にはさまざまな施設が設けられていた。翌年の秋には「山林こども博覧会」の第二会場となり、このときに「仁丹」でおなじみの森下仁丹株式会社(当時は森下博薬房)が発行した会場案内のチラシには、「空中回転機」と称する観覧車も描かれている(このあたりの事情は、福井優子さんの『観覧車物語』に詳しい)。

 さて噴水はというと、広大な敷地の一角、園内を流れる箕面川に架かった松尾橋を渡ったところに「水晶塔」と名付けられた噴水があった。この噴水は、(おそらく)森下博薬房発行のチラシより発行時期が古い、「空中回転機」が描かれていない園内の案内図にすでに登場している(写真は古い案内図の拡大)。

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 動物園開園の翌年、明治44年(1911)の夏、『大阪毎日新聞』は「箕面噴水の争水」という記事で、地元の住民と「箕面電鉄」の間で起きた「箕面公園内の噴水」をめぐるトラブルを報じている。灌漑のために住民が川に設けた「樋」が水をせき止め、噴水が止まってしまったことが発端となった騒動で、話し合いで決着がつかないまま「箕面電鉄」側は警察立会いの下、「樋」を切るという強行策に訴え、それを受けて住民側が裁判所に訴えるというようにエスカレートしていったらしい(住民側の訴えは却下)。なんとも罪深い噴水である。


 箕面公園の開設は明治31年(1898)であるが、園内に噴水ができたのは、明治43年箕面動物園の開園後である可能性が高い。「農民等は夏季灌漑用に供する為め毎年…箕面川の渓流を堰き止め」ていたという。動物園の開園以前から噴水があったとすれば、このような水騒動が突然、開園後最初の夏というタイミングで持ち上がることは考えにくい。「箕面電鉄」が騒動の一方の当事者であったことも、「箕面公園内の噴水」がこの時期にできたばかりの、つまり、動物園の開園に合わせて「箕面電鉄」が新設した噴水であることをうかがわせる。当時の案内図を見る限り、園内に「水晶塔」以外の噴水は見当たらない。とすれば、この「水晶塔」噴水が記事でいう「箕面公園内の噴水」に当たると考えられる。

 
 記事の数日後、8月17日の『大阪毎日新聞』は「再び箕面噴水争」と題し、「(箕面村平尾の農民)上田等は十六日更に右用水の占有保持を訴え出でたり」と続報を伝えている。果たして、涼しげな噴水の舞台裏で起きた熱い闘いの顛末や如何に。