「大本営跡の噴水」

 広島軍用水道布設部にては旧大本営跡へ噴水を設くるに付其構造を鯉の形にとり其口より噴水せしめんとの議ありしところ嚮に軍用水道布設部長児玉源太郎氏の同地に赴むきし折しも軍用上の工事として然る贅沢なる仕懸をなさんは面白からずと云いしため之を見合すこととなりしが其後更に宮内省に謀りしに同省の費用にて之を設けらるることとなりたり本来広島城は地形鯉に似たりとて鯉城と称えられ詩にも三十六鱗城などと謡わる、こいということ或いは己斐の地名より来れりとの設もありて目出度き事になぞらえ且つ水に縁あれば意匠頗ぶる妙なるべしとなり

明治31年(1898)1月30日 東京朝日新聞