東京大学噴水物語(三)

 昭和24年(1949)10月、東京大学消費生活協同組合出版部から一冊の本が刊行された。日本戦歿学生の手記、『きけわだつみのこえ』である。瞬く間に二十数万部を売るベストセラーとなり、今なお読み継がれるこの本の登場がなければ、図書館前の噴水はなくなっていたかも知れない。

 同書の刊行を機に、日本戦没学生記念会(通称わだつみ会)が発足した。昭和25年(1950)4月のことである。わだつみ会が真っ先に取り組んだ記念事業のひとつが「戦歿学生記念像の建立」であった。

 「戦死者の霊を弔い、その平和希求の精神を具現し、更に我々生き残つた者の平和擁護の精神的支柱となるべき戦歿学生記念像を建立したい」

 会の機関紙『わだつみのこえ』創刊号は、記念像に寄せる想いをこのように述べている。

 わだつみ会ではこの記念像を『きけわだつみのこえ』が生まれた東大に建立する計画を進めていた。制作者には彫刻家の本郷新が選ばれた。依頼を受けた本郷は昭和25年(1950)8月、一体の裸の青年像を作り上げる。

 「とにかく学生の悲惨な状況を作るか、つまりボロボロの軍服をまとって折れた鉄砲でも持ってね、さもなければ健康な肉体を作るか。とにかく素裸で若々しい青春の肉体を人間ということでいこうとしてモデルを探した。方々でモデル探しをやってね。俳優養成学校みたいなものがあって、ひとりの青年を見つけ、モデルになってくれないかと頼んだ」(『本郷新』現代彫刻センター、1975)。

 こうして誕生した「七尺四寸の青銅の像」は、美術展に出品後、東大を安住の地とするはずであった。

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 11月30日付の 『東京大学学生新聞』(第65号)が伝えるところによれば、「戦没学生記念会では、この像を図書館前噴水中央に建て、東大当局に寄贈するの意向であり、台座工事の許可があれば直ちに着手する予定」で東大側と交渉を重ねていた。12月8日に予定された記念像除幕式は目前に迫っていた。

 ところで、図書館前には九輪の噴水塔があったはずである。噴水塔は記念像に取って代わられてしまうのか。しかし、先の『東京大学学生新聞』は噴水塔の行く末を語らない。なぜか。12月6日付の『朝日新聞』がこの疑問の答に端的に教えてくれる。『朝日』の記事は記念像の設置場所についてこう語る。

 「東大図書館前の噴水跡に飾られるはずだった」

 噴水塔の行く末を語ろうにも、このときすでに図書館前に噴水塔の姿はなかったのである。