戦争・天皇・水道―祝う噴水(2)

もっともこの噴水、凱旋祝賀会のために建設されたというよりは、竣工がたまたま凱旋祝賀会に重なったといったほうが正しそうだ。
 
市が予算案を市会に図ったのは二月。その後「四月十五日の頃は其工を竣ふべしと伝説しながら今に至りて未だ著しく其工の進歩したるを聞かず」(『大阪毎日新聞』四月十日付)と報じられている。しかし、それもそのはず、そもそもの市の構想は二ヶ月で建設できるようなものではなかった。噴水の建設が議論された二月五日・六日の市会の直後、『大阪毎日新聞』はその設計について「自然石を以て数間の高さに畳み上げ其の頂上より噴出する水は電気の作用を以て五色とし」(二月八日付)と伝えている。しかし、『大阪市会史』第二巻の記録によれば、市が提示した計画では自然石を積み上げる高さは「数間」どころか「約二十五間」となっていた。メートルに換算すると約四十五メートル。十二階建てのビルぐらいはあるだろう。これは「梅田停車場ヨリ望見シ得ル設計」、梅田の駅から中之島の巨大な噴水塔が見えるようにという意図だったらしい。実に壮大な計画だ。
 
噴水を設置する必要性を問われた市は「噴水器ノ如キハ単ニ美術的美観タルノミニアラス」と力説する。噴水は美しいばかりが能ではない。観光資源として「遊覧者ヲ吸収スルノ設備」となる。大阪市の発展には「商工業ノ進歩ヲ計ル」とともに「此等ノ事業ヲモ経営シ本市ノ隆盛ヲ期スル」必要がある。
 
無論、反対する議員もいた。今は「専心商工業ノ進歩ヲ計ルベキ」時期であり「修飾ヲ施ス如キハ必ズシモ緊要ナラズ」。いたずらに「玩具的施設」を作るのは「時期尚早シ」。「此費用ヲ他ノ有益ナル事業ニ充用セバ利益アル」という理屈だ。しかし、最終的には二千五百円という予算が原案どおり認められた。
 
ところが、市と市会は同床異夢。市は具体的な竣工時期を明言していないが、ある点については牽制球を投げている。「鉛管ノ噴水トシテハ到底博覧会開設迄二竣功セザル以テ、一時延期スルコトヽシ、之二代ユル二電気ノ作用ヲ以テ噴水セシムルコトヽセバ、仮令博覧会ノ開期迄二完成セズトモ本邦ニテハ他二比類ナケレバ、将来大阪ノ繁栄ヲ増進スルニ於テ大二裨益スル所アルベシトノ見込ヲ以テ、斯ク予算ヲ編製シタリ」。当時大阪市では、横浜、函館、長崎に続く日本で四番目となる近代的な水道の布設工事が進んでいた(歴史を先回りすると、十一月には通水式が行われている)。とはいえ、水道を利用する設計の噴水ではとても「博覧会」までには間に合わない。電気仕掛なら(「博覧会」までに間に合うかも知れないが)たとえ間に合わなくとも、比類のない噴水になるので将来の大阪の利益になる。「博覧会」とは、そう、お隣の京都で四月に開幕する第四回内国勧業博覧会。市側の発言からは、この噴水建設事業が内国勧業博覧会と関連づけられてしまうことを何とか避けたいという思惑が見て取れる。
 
一方の市会側は「完全ナル施設ヲナス能ワザルベシ、然レドモ本市ノ水道ハ大規模ナレバ、其効力ヲ示ス為メ噴水器ヲ設クル必要アルベク、第四回内国勧業博覧会々期中維持シ得ルノミニテモ可ナリ」。博覧会での人出を見越してだろう、わが国の大都市では初となる水道事業の成功のシンボルとして内国勧業博覧会の期間中にお披露目したい。博覧会の会期中だけのものであってもよい。そんな声も聞かれた。これでは計画にひずみが出るのも無理はない。
 
中之島公園の大噴水はその後どうなったか。世評は「美観一方ならず」というが、市会は納得しない。「自然石ヲ二十五間積上ゲント説明シタレドモ五色七彩ノ電光モ共ニ成工シタルヲ聞カズ」と噴水建設反対派からは追及され(八月九日市会)挙げ句、建設賛成に回った議員も「不都合ナルコトハ明瞭ナレバ、不当ト認ムル議決ヲセバ可ナリ」と言い出す始末。以降度々撤去・改築が議論されるようになる(以下『大阪市会史』第三巻・第四巻)。