京都停車場前の噴水(1917年?)

 1920年大正9年)の『日出新聞』のマイクロフィルムのリールを回していたときに(探しものは見つからず)クルクルと流れていく紙面の片隅に見つけた噴水の記事。見よ、文化系の動体視力。「目端が利く」というより、これは「目が端に利く」。
 
辰山園と命名 京都駅小庭園
 大正六年京都駅の新築成るや時の神戸鉄道管理局長野村弥三郎氏発起となり同構内地約七百坪を卜して樹石を配置し墳水の設計を京都美術工芸学校千熊教諭に託し経費一万余円を投じて造園をなしたり(中略)未だ何等の命名なきを惜み今日野村氏の雅号辰山を其の儘辰山園と命名せりと
(『日出新聞』1920年7月7日付)
 
 新築後の京都駅には小公園があり、噴水が作られたという。
 
 1914年(大正3年)1月刊行の雑誌『建築雑誌』325号には前月、暮れの『報知新聞』から転載した「京都大停車場の新設」という記事がある。この記事のなかに、
 
明年の大典に備ふる京都停車場の改築工事は其後着々工事進捗し(中略)其位置は現在の旧停車場より百五十尺引き(中略)従来の停車場一帯の広場に世界の珍卉樹木を植込み大噴水器を装置して公園の設備をなし観目を驚かすものあるべし
 
とある。時期的にはこの二つの記事と絵葉書は同じ噴水と考えてよさそう。(書きかけ)
 
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「京都停車場/京都停車場前公園」絵葉書