学界の一大驚異 鬼ノミイラ絵葉書(1932年)
ネット上で「妖怪ミイラ」の画像を探すとき、(こんなタイトルを掲げておきながら)実はこのサイトがけっこう充実している。そんなお誉めの言葉を下さった方のご期待に応えて、鬼のミイラ(骨)の絵葉書をご紹介。「よくわからないニッポンの絵葉書」の中では割とよくわかったほうの絵葉書ではある。
1932(昭和7年)10月、名古屋で衛生博覧会が開かれた。
河内、勝福寺の宝物 大鬼のミイラ 衛生博に出品される
表向きは医学・衛生知識の啓蒙・普及、裏では啓蒙・普及の大義名分の下に見世物まがいのグロテスクな医学標本を並べるといったことは衛生博覧会ではしばしば行われている。鬼のミイラではもはや医学でも衛生でもないが、まあいいのだろう。
写真は「日本ライン犬山橋畔 発行所 小川眞潔」、つまり名古屋からそう遠くない犬山の人物が手がけた絵葉書のセット。スタンプの日付を併せて考えると、名古屋で衛生博覧会に出品された大鬼のミイラを撮影したものであると思われる。
マツバプールでは入場者に無料で二十六日から八月一日まで六日間毎日午前八時から午後十時まで大阪府北河内郡住道村大字西之口在勝福寺の宝物である身長一丈二尺頭に二本の角と口には牙を備へ手足の指三本つつの大鬼骨格を拝観料無料で公開すると
これまた「勝福寺の宝物」だという。十中八九、同じ鬼のミイラだろう。市内のプールで客寄せパンダならぬ客寄せミイラとして連れてこられたようだ。
7月には豊橋。11月には名古屋。どうやら夏場から愛知県内を巡回していた様子が垣間見えるが、8月から10月にかけての所在はまだ分からない。きっと他の町でも騒がれて記録に残っているはずだとにらんでいるがはたして。
7月には豊橋。11月には名古屋。どうやら夏場から愛知県内を巡回していた様子が垣間見えるが、8月から10月にかけての所在はまだ分からない。きっと他の町でも騒がれて記録に残っているはずだとにらんでいるがはたして。