噴水事情

噴水紳士録:伊豆長八と西岡景房

明治21年(1888)7月17日、品川の第二台場沖に大きな鯨が現れた。 船で沖合に繰り出した見物人が見守る中、鯨は盛大に潮を噴き上げ、一同大喝采だったという。当時の警視総監、三島通庸もこの鯨の潮吹きを見物した一人である。 ところで、これが日本における…

「噴水の少い都市」

東京美術学校(現東京藝術大学)で図案科の教授を務める等、明治時代後半から昭和にかけて日本の図案工芸界の先駆者として活躍した意匠家、島田佳矣(よしなり)は大正11年(1922)、雑誌『現代之図案工芸』(8巻7号)に「噴水の少い都市」という小文を寄せ…

「東京市内の噴水量」

風俗画報(343号) 明治39年7月 東京市内の噴水量 東京水道の根源にして、百八十万人の市民が市民が生命の綱と頼める多摩川本流が、昨今大に減水し、此分にて押行かば由々敷大事に及ぶことあるやも計られず、右に付東京市水道課に於ては、此際成るべく余計の…

「驚く可き噴水量」

△涼しいが贅沢な噴水 △各自水を濫費するな 昨今の炎熱は実にひどい、人の心は自ら水を思う、従って水道の使用量も日に増加して此のまま推し進めば給水の限度なる八百万立方尺を超えて遂には全市に亘る断水を見るの虞があるという、そこで市長は各区長に此の…

「噴水と飛泉の停止」

東京朝日新聞 明治40年3月11日 噴水と飛泉の停止 水道減量に就て 本年一月以来晴天の続く事四十余日、其間に稀に微雨小雪のなきにしもあらざりしかど何にもせよ雨量乏しく空気は乾燥し水脈は涸渇したる結果山の手の井水は著しく減じ中には混濁して飲料に供し…

「噴水の復旧と花支度」

東京朝日新聞 明治40年4月1日 噴水の復旧と花支度 水道の減水と共に去月十一日以来日比谷を始め各公園の噴水飛瀑は悉く断水し居たるが昨今の降雨続に水量も追々増加せしより一昨日来孰れも復旧したり…